【野球】「人生、失うものはない」監督初陣を迎える元阪神のドラフト1位・的場寛一氏の決意 独立リーグ石狩での挑戦

 元阪神のドラフト1位、的場寛一氏(47)が5月4日に監督初陣を迎える。北海道フロンティアリーグ・石狩レッドフェニックスの監督を阪神時代の先輩である坪井智哉氏から引き継ぎ、4月に着任した。阪神では相次ぐ故障に泣いたが、その後、社会人野球の名門トヨタ自動車で活躍。引退後は会社経営、タレント業と幅広く活動してきた。三刀流に挑む的場氏の今を聞いた。

  ◇  ◇

 新たな船出を前に、的場氏はうれしい悲鳴を上げていた。

 「着任して1カ月ですけど、こんなにいろいろな事を考えないといけないんだと。こんなに大変だとは思わなかったです」

 そう口にしながらも、表情からは25人の選手たちを率いる充実感がうかがえる。

 3年間指揮を執ってきた坪井氏がヤクルトの2軍コーチに就任することに伴い、臨時野手コーチを務めていた的場氏に白羽の矢が立てられた。元々、坪井氏に請われてチームに携わっていただけに一緒に退任すると思っていたというが、意外な方向に話は進展。経営する会社のスタッフからの「行ってらっしゃい」の声、周囲からの後押しで監督業を引き受ける決断を下した。

 大型遊撃手として1999年のドラフト1位で阪神に入団した。だが、6年間の現役生活は苦闘の連続だった。1年目の試合中、フェンスに激突し腎臓の出血、親指骨折を負った。2度の左膝手術に起因する外野手への転向。引退につながっていく右肩の故障もあった。

 「自分が故障に泣いたプロ野球人生だったので、選手にはタフな体とメンタルを兼ね備えてほしい。ハプニングが起きても動じないタフさ、メンタルを持つことでどんな苦難も乗り越えられるから、タフをテーマに1年やっていこうと話をしています。振り返ると僕はそういう部分に欠けていたんです」

 実感のこもった言葉だった。

 阪神という人気球団に課せられる「ドラフト1位」の重圧。「なかったというのはウソですけど」と遠回しに肯定しつつ言った。

 「結局は自分のせいなんです。監督が使いたい選手になれば出られる。人のせいではなく自分のせい、今ではそう思ってます、選手には自分で切り開いていってほしい」

 九州共立大時代、プロ野球選手になるためにはどうしたらいいかを細分化してノートに書き、練習をこなしてきた。目標をクリアしていって阪神に入団したが、間違いに気付いたという。

 「僕は『プロ野球選手になりたい』という設定をしちゃったんです。そうではなくて、『プロ野球で活躍する選手』を目指さないといけなかった。プロ野球の世界に入って安心したというか、その違いだと思うんですよね。野球人生が終わってから気付いた感じでしたね」

 自身の経験を踏まえてチームに求めるのは、高めの目標設定だ。

 「全国の独立リーグの人に笑われるかもしれないですけど、リーグ優勝はもちろんですけど、全国の独立リーグの大会であるグランドチャンピオンシップの優勝を目指して取り組んでいます。それとリーグで初めてのNPB選手の輩出。この二つが目標です」

 石狩が所属する北海道フロンティアリーグのチームは、これまで1回戦を突破できていない。高い壁を越えるために、あえてその先に目標を据える。初陣は4日、石狩市青葉公園野球場での別海パイロットスピリッツ戦。

 「人生、失うものはないんで、とりあえずチャレンジです」

 新監督は力強く宣言した。

(デイリースポーツ・若林みどり)

 ◇的場寛一(まとば・かんいち)1977年6月17日生まれ。兵庫県尼崎市出身。弥富高(現愛知黎明)、九州共立大を経て99年のドラフト1位で阪神入団。通算24試合に出場。2005年に戦力外通告を受け、06年からトヨタ自動車でプレー。3度の日本選手権優勝に貢献。12年の引退後、社業に専念し14年に退社。現在は「くつろぎカンパニー株式会社」代表取締役としてエステやアスリート支援などに取り組み、タレント活動も行う。

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