スカウト30年の堀井和人さんはスナック店長に 元木、福留入団拒否…波乱の果てに

常連客と話し込む堀井和人さん
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 元祖2世選手として南海でプレーし、パ・リーグ3球団のスカウトを30年務めた堀井和人さん(70)は現在、心斎橋のスナック「堀井」の店長。スカウト時代には上宮・元木、PL学園・福留と2度の「徒労感」を味わったが、それも人生の肥やし。人情味あふれる店内には今宵も野球好きと堀井ファンが集う。

 賑やかで、きらびやかな心斎橋2丁目の宝畳屋町プラスワンビル4F。おしゃれで大柄なマスターはニコニコ顔で迎えてくれた。 「皿も洗ったことなかったのに今年8年目。よう続いてるわ。野球関係者が来てくれて、うれしいよ。ずっと、趣味でやっていたいわ」

 店はカウンターのみ9席で日、祝休み。料金は男性3000円、女性2000円ポッキリの飲み放題。「何時間いても一緒や」。店内には懐かしのユニホームや貴重な写真が飾られ、これを見て涙を流したオールドファンもいると言う。

 父・数男さんは南海の名選手。自身も黄金期の明星→法大→南海でプレーし、球界には豊富すぎるほどの人脈を誇る。73年、巨人との日本シリーズには3試合出場し、3組ある親子出場のさきがけに。さらに2男・皓介さんも大阪桐蔭の記録員ながら甲子園のベンチ入りをしており、こちらは親子3代という快挙だ。

 「もっぱらヤジ将軍」だった現役は10年。その後、父の後を追ったスカウト人生は波乱万丈だった。南海からダイエーとなった89年ドラフト。外れ1位で指名した元木大介はこれを拒否し、浪人。その責任を取らされたが、翌日に近鉄から声が掛かった。

 その近鉄でも95年、同じく1位指名した福留孝介が社会人野球の日本生命入りと2度目の「挫折」を味わった。もちろん、中村紀ら多くの名選手も発掘。最後のオリックスではT-岡田の獲得に尽力した。

 「次から次へ声を掛けてもらい、人生でガクッとすることがなかった。こんな幸せなヤツ、おらん。身売りと合併を経験したけど、スカウトはおもろかった。いろんな人に会え、いろんな場所に行けて。南海はふるさと、近鉄に育ててもろて、別れのオリックスやな」

 この3月で古希を迎えたが、いまでも1日2箱の愛煙家。「好きな言葉は一日一生。とにかく、楽しくやる。店に出て人に会うと、ボケ対策にもなるわ」。ニコッと笑って、またおいしそうにタバコをくゆらせた。(デイリースポーツ特約記者・山本智行)

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