【野球】無敵だった阪神「JFK」…今も絆は固く 球児が現役のうちに「優勝して」

 止まった針を巻き戻すのに、時間はいらなかった。肩を組み、無数のフラッシュを浴びる。少しシワの刻まれた顔を緩める3人。報道陣用の写真撮影を終えると、背中を向けて観客席に歩みを進める。中心の藤川が目を細めて笑う。歓喜する人、涙する人も見えた。

 「みんな白髪が増えたね。写真を撮ってください。こんなにね、人が集まってくれるとは思わなかったから。あの頃(2005年)は、バース、掛布、岡田やったからね」

 球団初にして、唯一の日本一を導いたレジェンド。昭和の球団史を彩ったのが3人なら、平成を振り返れば「JFK」が真っ先にくる。右に久保田、左にジェフ。そして中央に藤川が立つ。時間にして13年ぶりの“再結成”。ジェフが流れを立ち、藤川で戦意を喪失させ、久保田で息の根を止める。あの時、怖いものはなかった。

 当時、正捕手を務めていた矢野監督も、「自分の自慢でもある」と当時を懐かしむ。「あの時代、俺は『JFKY』というのを勝手に作ったんだけどね。俺も入れろやって」。同年、3人がそろって登板したのは48試合。38勝6敗4分けで、勝率・850以上を誇る鉄壁救援陣だった。最後の砦を守った「K」は、控え目に再会を懐かしんでいた。

 「2人に助けられていただけ。すごすぎたからね」。15年前を振り返ると感謝しかないという。七、八回で他球団に与える脅威、重圧が、九回に掛かる負担を軽減させた。「それでもオレは感じてたけど」と笑って振り返る日々が、チームにとっても最後の栄光だ。

 「火の球」と形容されるストレートのように、藤川の野球人生は前だけを向いて走ってきた。「初めて」訪れた立ち止まる時間。少しの間、懐かしさに浸った。「人生を送る上で、すごく大事な瞬間だった。ジェフが来た時から思ってたんですけどうれしいというかね。こんな気持ちになるんだ、というのは初めて感じました。ものすごいパワーをもらいました」。そんな忘れ得ぬ時間が原動力になる。闘う理由にもなった。

 「(2005年の活躍は)僕1人の力ではできなかった。久保田とジェフ(ウィリアムス)の存在があったから。その2人から『頑張ってくれよ』と言ってもらい、ものすごいパワーを感じました」

 3人の中でただ1人、現役を続ける藤川は、同年以来の優勝を信じて戦う。駐米スカウト、クローザー、プロスカウト。それぞれ立場は変わっても、目指す場所はあの頃と変わらない。チームを陰で支える裏方稼業に身を置き、久保田は思いを強くする。「本当に優勝を願っています。球児がいるから、なおさらね。まだ現役のうちに、なんとか優勝してほしい」。15年ぶりの頂点へ。JFKはいまも固い絆で結ばれている。(デイリースポーツ・田中政行)

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