【野球】智弁和歌山・中谷コーチが“覚悟”に置き換えたプロ意識
根っからの捕手気質なのだろう。第90回選抜高校野球で準優勝した智弁和歌山の中谷仁コーチ(38)=元阪神など=は大会中に何度も「また怒られるなあ」と冷や汗をかいていた。
恩師、高嶋仁監督(71)からは「3点以内に抑えるバッテリーに育ててくれ」と言われていたが、準々決勝、準決勝でそれぞれ10失点。東妻純平捕手がベンチ前で名将にカミナリを落とされるのをスタンドで見ていた。「僕の力不足」と言いながらも、遊撃手から転向してまだ1年足らずの2年生に「捕手はそういうポジション」と逃げ道をつくらなかった。
「捕手は結果がすべて。どんないい配球でも打たれたら『なんで打たれたんや』と怒られる。打たれる予兆みたいなものを感じ取らなくてはならない」。例えばファウル1球、例えば見逃された1球。「それに気づける子にするのが僕の仕事。高嶋先生が(抑えるために)『何とかせい』と言うと、子供たちは『どうしたらええんや』となる。その間を埋めるのが僕の仕事」と自認する。
1997年夏の全国制覇時の主将。エース高塚が故障を抱え、県大会で1試合も投げられなかった中で「あいつを甲子園につれていく」と献身的にチームを引っ張った。甲子園で優勝の瞬間、代打出場しかなかった背番号1に駆け寄り「お前が日本一のエースやで」と抱きしめた姿は印象的だった。
阪神、楽天、巨人を渡り歩き、母校に戻って1年。教え子たちには「常に一人でいろ。群れるな」と教えている。「わんぱく小僧の集団」という幼さが残る今チームには特に競争意識を持たせようとしてきた。「この子たちは野球で人生を切り開こうとしている。そのための力をつけさせたい」
生き馬の目を抜く世界で培ったプロ意識は“覚悟”という言葉に置き換えられる。そして、「誰かのために」と身を賭す捕手の気質は、指導者としてさらに生きるだろう。教え子たちのために。夏への戦いはもう始まっている。