イチロー「野球のこと愛した」【一問一答】

 マリナーズのイチロー外野手(45)がアスレチックスとの開幕第2戦後、日付をまたいで22日未明まで都内で引退会見を行った。ユニホーム姿で積年の思いをつづった約1時間半の熱弁だった。

  ◇  ◇

 「こんなにいるの?びっくりするわ。そうですか…。この遅い時間にお集まりいただきまして、ありがとうございます。今日のゲームを最後に、日本で9年、アメリカで19年目に突入したところだったんですけども現役生活に終止符を打ち、引退することとなりました。最後にこのユニホームを着て、この日を迎えられたことを大変幸せに感じています。この28年を振り返るには、あまりにも長い時間だったので、ここで一つ一つ振り返ることが難しい部分があって、ここではこれまで応援していただいた方々への感謝の思い、そして球団関係者、チームメートに感謝を申し上げて、皆さまからの質問があればできる限り、お答えしたいというふうに思っています」

 -現役選手生活に終止符を打つと決めたタイミング、理由は。

 「タイミングはですね、キャンプ終盤ですね。日本に戻ってくる何日前ですかね。何日前とはっきりとお伝えできないんですけど、終盤に入った時です。もともと日本でプレーする、今回東京ドームでプレーするところまでが契約上の予定でもあったということでもあったんですけど、キャンプ終盤でも結果が出せずに、それを覆すことが出来なかったということですね」

 -決断に後悔は。

 「今日のあの球場での出来事、あんなものを見せられたら、後悔などあろうはずがありません。もちろん、もっとできたことはあったかと思うんですけど、結果を残すために、自分なりに重ねてきたこと、人よりも頑張ったとはとても言えないですけど、自分なりに頑張ってきたことははっきりと言えるので、これを重ねてきて。重ねることでしか、後悔を生まないということはできないのではないかと思います」

 テレビを通じて多くの子どもたちが見ている。これから野球を始める子も。何かメッセージがあれば。

 「シンプルだなあ。メッセージかあ。苦手なんだよなあ。何か。野球だけでなくてもいいんですよね。始めるものは。夢中になれるものが見つかれば、それに向かってエネルギーを注げるので、そういうものを早く見つけてほしいなと思います。それが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁にも向かっていける。向かうことができると思います。それが見つからないと…いろんなことにトライして、自分にむくかむかないかというよりも、自分が好きなものを見つけてほしいなと思います」

 -印象に残っているシーンは。

 「今日を除いてですよね。この後時間がたったら、今日が一番真っ先に今日のことが浮かぶのは間違いないと思います。それを除くとすれば、いろいろな記録に立ち向かってきたんですけど、そういうものは何か大したことではないというか、自分にとって、それを目指してやってきたんですけど、いずれそれは僕ら後輩が先輩たちの記録を抜いていくというのは、しなくてはいけないことであると思うんですけど。例えば10年200本続けてきたことだとか、MVPを取ったとかオールスターでどうたらっていうことは、ほんと、小さなことに過ぎないというふうに思います。今日のあの舞台に立てたことというのは、去年の5月以降、ゲームに出られない状況になって、その後もチームと一緒に練習を続けてきたわけですけど、それを最後まで成し遂げられなければ、今日のこの日はなかったと思うんですよね。今まで残してきた記録はいずれ誰かが抜いていくと思うんですけど、去年の5月からシーズン最後の日まで、あの日々はひょっとしたら誰にもできないことかもしれない。ささやかな誇りを生んだ日々でもあったんですね。去年の話ですから近いということもあったんですけど。どの記録よりも、自分の中ではほんの少しだけ、誇りを持てたことかなというふうに思います」

 -イチメーターで応援したエイミーさんもいた。彼女のような応援してくれた存在とは。

 「ゲーム後にあんなことが起こるとはとても想像していなかったですけど、実際にそれが起きて、19年目のシーズンをアメリカで迎えていたんですけど、なかなか日本のファンの方の熱量っていうのは、普段感じることが難しいんですね。久しぶりにこうやって東京ドームに来て、ゲームは基本的には静かに進んでいくんですけど。なんとなく、印象として、日本の方というのは表現することが苦手というか。そのイメージが完全にくつがえりましたね。内側に持っている熱い思いが確実にそこにあるというか。それを表現した時のその迫力というのは、とても今まで想像できないことです。ですから、これは特別な、最も特別な瞬間になりますけど、ある時までは自分のためにプレーすることがチームのためにもなるし、見てる人も喜んでくれるかなと思っていたんですけど、ニューヨークにいったぐらいからですかね。人に喜んでもらうことが一番の喜びになったんですね。人に喜んでもらうことなくして、自分のエネルギーはまったく生まれないと思います。え?おかしなこと言ってます?大丈夫です?」

 -貫いたものは。

 「野球のことを愛したことだと思います。これは変わることなかったですね。おかしなこといってます?僕。大丈夫?子供のころからプロ野球選手になることが夢で、それがかなって、最初の2年ぐらいは1軍に行ったり、来たり。おかしい?いつもいるみたいな感じになる?1軍に行ったり、2軍に行ったり。そういう感じで仰木監督に出会って。レギュラーで初めて使っていただいたわけですけど。この年まででしたね。楽しかったの。後は何かね、その頃から急に番付上げられちゃって、一気に。もうずっと、それはそれはしんどかったです。やっぱり力以上の評価をされるというのは、とても苦しい日々ですよね。だからそこからはね、純粋に楽しいなんてことは…。もちろんやり甲斐があって、達成感を味わうこと、満足感を味わうことはたくさんありました。楽しいかというとそれとは違うんですよね。将来はまた楽しい野球をやりたいなというのは、皮肉なもので、プロ野球選手になりたいという夢がかなった後に、そうじゃない夢が存在したんですよね。中途半端に過ごした人間には、おそらく待っていないもの。草野球に対して、やっぱりプロ野球でそれなりに苦しんだ人間でないと、草野球を楽しむことはできないのではないかと思うので、これからはそんな野球をやってみたいなと思いますね。おかしなこと言ってます?僕。大丈夫?」

 -私たちの方がギフトをもらった

 「そんなアナウンサーみたいな」

 -これからどんな「ギフト」をくれるか。

 「ないですよ。そんなの。無茶言わないでくださいよ。でもこれ、本当ギフトで。去年、3月の頭にマリナーズからオファーをいただいてからの今日までの流れがありました。あそこで終わってても全然おかしくない。去年の春で終わっても全然おかしくない。今、この状況が信じられないですよ。あの時考えていたのは、自分がオフの間、アメリカでプレーするために準備をする場所は神戸の球場なんですけど、寒い時期に練習するので、凹むんですよね。心が折れるんですよ。そんな時も仲間に支えられていつもやるんですけど、最後は今まで自分なりに訓練を重ねてきた球場で、ひっそりと終わるのかなと、あの当時、想像していたので。夢みたいですよ。これも大きなギフトですよ。僕にとって。僕からのギフトはないです」

 -笑顔が見えたのは楽しかった、ということか。

 「純粋に楽しいということではないんですよね。やっぱり、誰かの思いを背負うということはそれなりに重いことなので、そうやって1打席1打席立つのは、簡単なことではないんですよね。疲れました。やっぱりヒット打ちたかったし、応えたいって。感情がないっていう人も居るみたいですけど、いがいとあるんですよ。だから結果を残して最後を迎えられたら一番いいなと想ったんですけど、かなわずで。それでもあんなふうに球場に残ってくれて。しないですけど、死んでもいいという気持ちはこういう気持ちなんだなと。死なないですけど、そういう表現をするのはこういう時なのかなと思います」

 -「最低でも50歳までは現役」と言ってきた。日本に戻ってプレーしようとは。

 「なかったですね。それはここでは言えないなあ。ただね。確かに最低50までって本当に思っていたし。それはかなわずで、有言不実行の男になってしまったわけですけど、その表現をしてこなかったら、ここまでこなかっただろうなと思います。難しいかもしれないけど、言葉にして表現するのは目標に近づく一つの方法ではないかと思っています」

 -野球に費やしてきた時間はこれからどう使うか。

 「ちょっと今は分からないですね。多分、明日もトレーニングはしていますよ。それは変わらないでしょうね。じっとしていられないから。それは動き回ってるでしょうね。ゆっくりしたいとか全然ないですよ。動き回っています」

 -生きざまでファンに伝えられたこと、伝わったらうれしいことは。

 「生きざまというのは僕にはよく分からないですけど。まあ、生き方、というふうに考えれば…。先ほどもお話しましたけど、人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。あくまでも、はかりは自分の中にある。それで自分なりに、はかりを使いながら、自分の限界をみながらちょっと超えていくということを繰り返していく。そうするといつの日か、こんな自分になっているんだという状態になって。少しずつの積み重ねが、それでしか、自分を超えていけないというふうに思うんですよね。何か、一気に何か高みにいこうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それが続けられない。地道に進むしかない。進むというか進むだけではないですね。後退もしながら、ある時は後退しかしない時期もあると思うので。でも自分がやると決めたことを信じてやっていく。でも、それは正解とは限らないですよね。間違ったことを続けてしまうこともあるんですけど。そうやって遠回りすることでしか、本当の自分に出会えないそんな気がしているので。ゲーム後、ファンの方の気持ちですよね。それを見た時に、ひょっとしたらそんなところを見ていただいていたのかなというふうに。それがうれしかったです。そうだとしたらうれしいですし、そうじゃなくてもうれしいです」

 -現役生活を終えたら、この世界で監督になったり指導者になったりする。あるいはタレントさんになったりする。イチロー選手は何になるんですか

 「何になるんだろうね。そもそもカタカナのイチローってどうなんですかね。元カタカナのイチローってなるんですかね。あれ、どうなるんだろう。元イチローって変だよね。一朗だしって。どうしようっか。何になる。監督、絶対無理ですよ。これは絶対がつきますよ。人望がない。人望がないんですよ」

 -そうでもないのでは。

 「それぐらいの判断能力は備えているので。ただ、どうでしょうね。まあ、プロの選手とかプロの世界というよりも、アマチュアとプロの壁がどうしても日本の場合は特殊な形で存在しているので、今日をもって、どうなんですかね。そういうルールって。どうなんだろう。今までややこしいじゃないですか。例えば極端に言えば、自分に子供がいたとして、その高校生であるとすると、教えられなかったりとかっていうルールですよね?違います?そうだよね。それって何か変な感じじゃないですか。今日をもって、元イチローになるので。それは小さな子供なのか、中学生なのか、高校生なのか、大学生なのか分からないですけど、そこには興味がありますね」

 -引退を決めた時期まで悩んだ時期は。

 「引退というよりかはくびになるんじゃないかっていうのはいつもありましたね。ニューヨークにいってからは毎日そんな感じです。マイアミもそうです。ニューヨークって特殊な場所です。マイアミもまた違った意味で特殊な場所です。毎日そんなメンタリティーですごしていたんですよね。くびになる時がその時だろうと思っていたので。そんなのしょっちゅうでした」

 -今回は引退。その理由は。

 「マリナーズ以外、という気持ちがなかったというのが大きいですね。去年、戻していただいて。本当にうれしかったし、先ほどキャンプ前でのオファーがある前の話をしましたけど、その後、5月にゲームに出られなくなる。あの時もそのタイミングでもおかしくないんですよね。でも可能性があるというふうに伝えられていたので。それも自分なりに頑張ってこられたことだと思うんですけど…。質問はなんでしたっけ。(再び受けて)もう答えちゃったね」

 -菊池が号泣。

 「号泣中の号泣でした。びっくりしましたよ。それ見てこっちはわらけましたけどね」

 -どんな会話をしたか。

 「それはプライベートなんで…。そりゃ雄星がお伝えするのは構わないですけど。僕がお伝えすることじゃないですね。2人の会話だから、僕から声をかけているので。バカですよね。絶対信頼されないものね。それはだめです」

 -日本のファンにとって特別な日だが、アメリカのファンにも。

 「19年ですよ。最初はしんどかったですね。2001年のキャンプなんかは日本に帰れってしょっちゅう言われましたよ。だけど、結果を残した後の敬意っていうのは。これは評価するか分からないですけど、手のひらを返すという言い方もできてしまうので。ただ、言葉ではなくて行動で示した時の敬意の示し方というのは、その迫力はあるなという印象ですね。なかなか入れてもらえないんですけど、いれてもらった後、認めてもらった後は、すごく近くなるというような印象で。がっちり関係ができあがる。シアトルのファンとはそれができたような。それは僕の勝手な印象ですけど。でも、ニューヨークっていうのも、厳しいところでしたね。でもやればマイアミっていうのはラテンの文化が強い印象で、その圧はそれほどないんですけど、でも結果を残さなかったら絶対に人はきてくれない。そんな場所でしたね。それぞれの場所に特色があって面白かったし、特徴はありましたけど、アメリカは広いなあと。ファンの人たちの特徴をみるだけで、アメリカはすごく広いなという印象ですけど。やっぱり最後にシアトルのユニホームを着て、セーフコフィールドではなくなってしまいましたけど、最後、姿をお見せできなくて、それは申し訳ない思いがあります」

 -ユニークなTシャツが印象的だった。信条を表していたのか。関係ないのか

 「そこは、言うと急に野暮ったくなるから、言わない方がいいんだよね。見る側の解釈だから、そうとらえるならそうかもしれないし。全然関係ない可能性もある。だって、そういうものでしょう。いちいち説明してたらほんと、やぼったいもんね。いきって自分では言えないけど、急に無粋になるから」

 -弓子さんへの感謝を。

 「いやあ…。頑張ってくれましたね。一番頑張ってくれたと思います。僕はアメリカで結局3089本のヒットを打ったわけですけど。妻はですね、およそ…。僕ゲーム前にホームの時はおにぎりを食べるんですね。妻が握ってくれたおにぎりを球場に持っていって食べるんですけど。その数が2800ぐらいだったんですよ。3000いきたかったですね。そこは、うーん。3000個、にぎらせてあげたかったなと思います。妻もそうですけど、とにかく頑張ってもらいました。僕はゆっくりする気はないですけど、妻にはゆっくりしてもらいたいです。それと一弓ですね。我が家の愛犬ですね。柴犬なんですけど。現在17歳と7カ月。今年で18歳になろうかという。柴犬なんですけど。さすがに、おじいちゃんになってきて。フラフラなんですけど、懸命に生きているんですよね。その姿を見ていたら、それはおれ、頑張らなきゃなと。ジョークとかではなく、本当に思いました。2001年に生まれて、2002年に我が家に、シアトルの我が家に来たんですけど。まさか最後まで一緒に。僕が現役を終える時まで、一緒に過ごせるとは思っていなかったので。これは大変感慨深いですね。一弓の姿というのは。妻と一弓には。もう感謝の思いしかないですね」

 -打席内での感覚の変化は今年は何かあったか。

 「いる?それ、ここで。裏で話すわ。後で」

 -今までで一番考えぬいた決断は

 「順番つけられないですね。それぞれが一番だと思います。ただ、アメリカでプレーするために、当時、今とは違う形のポスティングシステムだったんですけど。自分の想いだけではそれは当然、かなわないので。当然、球団からの了承がないと、行けないですね。じゃあ、その時に、誰をこちら側、こちら側というと敵味方みたいでおかしいんですけど、球団にいる誰かを口説かないと、説得しないといけないと。その時に、一番に浮かんだのが仰木監督ですね。で、その何年か前から、アメリカでプレーしたいという思いは伝えていたこともあったんですけど、仰木監督だったらおいしいご飯で、お酒を飲ませたら…飲ませたらってあえていってますけど、うまくいくんじゃないかと思ったら、まんまとうまくいって。これがうまくいかなかったら何も始まらない。口説く相手に仰木監督を選んだのが大きかったのかなと思いますね。駄目だ駄目だとおっしゃっていたものが、お酒でこんなにかわってくれるんだと思って。お酒の力をまざまざと見ましたし。でも、しゃれた人だったなと思いましたね。仰木監督から学んだもの。計り知れないと思います」

 -後輩に託したいものはあるか。

 「雄星のデビューの日に引退を迎えたというのは、何かいいなと思っていて。ちゃんとやれよ!っていう思いですね。うーん。短い時間でしたけど、(菊池は)すごくいい子で。やっぱりね。いろんな選手を見てきたんですけど、左ピッチャーの先発って、変わっている子が多いんですよ。本当に。天才肌が多いという言い方もできるんですかね。アメリカでも、まあ(変わった人が)多いです。だから、こんなにいい子いるのかなっていう感じですよ。ここまで。今日まで。でも、キャンプ地から、日本に、飛行機で移動してくるわけですけど。チームは、ドレスコードですね。服装のルールが、黒のジャージのセットアップでOKと。長旅なのでできるだけ楽にという配慮ですけど。雄星は俺たちどうするって。日本に着いた時に、さすがにジャージは駄目だろうと2人で話をしていたんですね。そうですよね、イチローさんどうするんですかって。中はTシャツだけど、セットアップでジャケット着ているようにしようかなと。じゃあ僕もそうしますと雄星も言うんですよ。キャンプ地をたつ時のバスの中で、みんな黒のジャージのセットアップでバスに乗り込んできて。雄星と近かったので、これやっぱ駄目だよな。メジャーリーガー、これ駄目だろうってバスの中で言っていたんです。まさかのそれで羽田に着いた時に黒のジャージでしたからね。ぶったまげました。本人にまだ聞いていないですけど。やっぱり左ピッチャーは変わったやつ多いなと思いました。(大谷)翔平はけがを治して。スケールも物理的にも大きいわけですし。アメリカの選手にサイズ的にも劣らない。あのサイズで、あの機敏な動きができるっていうのは、いないですよね。それだけで。世界一の選手にならなきゃいけないですよ」

 -神戸に何か恩返ししたいなという気持ちは。

 「神戸は特別な町です。僕にとって。恩返しかあ…。恩返しって何することなんですかね。選手として続けることでしか、それはできないんじゃないかなと思っていたこともあって、できるだけ長く現役を続けたいと思ったこともあるんです。神戸に、恩返し…。うーん。税金を少しでも払えるように頑張ります」

 -大谷と対戦したかったか。大谷の今後に期待することは。

 「先ほどもお伝えしましたけど、世界一の選手にならなきゃいけない選手です。僕がピッチャーで翔平バッターっていうのをやりたかったんです。そこは誤解なきようにお願いします」

 -大谷は今後、どんなメジャーリーガーになっていくかと思うか。

 「そこは占い師に聞いてもらわないとわからないけどね。投げることも打つこともやるなら、1シーズンピッチャー、次のシーズンはバッター。それでサイ・ヤングとホームラン王を獲ったら。そんなの考えることもできないですよ。でもその想像をさせる点で、人とは明らかに違う選手だと思うんですけど、その二刀流は面白いなと思うんですよね。ピッチャーとして20勝するシーズンがあって、翌年に50本打ってMVP獲ったら化け物ですよね。でも想像できなくはないですからね」

(司会からあと2問とアナウンス)

 「お腹減ってきたぁ。結構やってない?今日はとことんお付き合いしようかなと思ったんですけどね。お腹減ってきちゃった」

 -野球人生を振り返って誇れることは。そういうことを語るのは好きではないのでは。

 「先ほど、お話ししましたね。小林くんも集中力切れてるんじゃない?完全にその話、したよね」

 -小学生時代の卒業文集に「僕の夢は一流のプロ野球選手になること」という言葉から始まる。当時の自分にどんな言葉を掛けたいか。

 「お前契約金1億ももらえないよって。ですね。夢を大きくと言いますけどね。なかなか難しいですよ。ドラ1の1億と掲げてましたけど。遠く及ばなかったです。ある意味では挫折ですよね。それは。うーん。こんな終わり方でいいのかね。何かキュッとしたいよね、最後は」

 -過去のマリナーズ時代に「孤独を感じながらプレーしている」と言っていた。チームを移り、今年引退。その孤独感をずっと感じながらプレーしていたか。前の孤独感とは違うものがあったか。

 「現在、それはまったくないです。今日の段階で。それはまったくないです。それとは少し違うのかもしれないですけど。アメリカに来て、メジャーリーグに来て、外国人になったこと。アメリカでは僕は外国人ですから。このことは…外国人になったことで、人の心をおもんぱかったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。この体験っていうのは、まあ、本を読んだり、情報をとることはできたとしても、体験をしないと自分の中からは生まれないので。孤独を感じて、苦しんだことは多々ありました。ありましたけど、その体験は、未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと今は思います。だから、つらいこと、しんどいことから逃げたいと思うのは当然のことなんですけど。でもエネルギーのある元気な時にそれに立ち向かっていく。そのことはすごく、人として、重要なことなのではないかというふうに感じています。締まったね。最後。皆さんもありがとうございます。じゃあ、そろそろ帰りますか」

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