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【日本ダービー特別企画】君は、何世代?~語り尽くせぬ想いがある。語り合いたい世代がある~

 スポーツ新聞及び夕刊紙による日本ダービー特別企画(デイリースポーツ、日刊スポーツ、スポーツニッポン、スポーツ報知、サンケイスポーツ、中日スポーツ、東京スポーツ、日刊ゲンダイ)各紙の記者に自身の節目で強く印象に残った日本ダービーについて振り返ってもらい、熱く語っていただきました。あなたと同じダービー馬を推す同世代の記者はいましたか?ぜひ他の紙面もご覧いただき、一緒に語り合いましょう。

2023年【タスティエーラ世代】20代・小田穂乃実 記者

 競馬記者になって1カ月。初めて記者の立場から見た日本ダービーの衝撃を、今でも鮮明に覚えている。入社前も何度か競馬場に足を運び、手に汗握る思いでレースを見ていた。ただ、3年前のあの日が特別なのは、わずかな時間ながら栗東トレセンでの取材を通し、これまで知らなかった競馬の奥深さを知ったからだ。

 ルーキーでまだ印は打っていなかったが、なぜか週頭から取材したことのない美浦の〝タスティエーラが自分の本命だ〟と心に決めていた。皐月賞では、大外から上がり最速の脚で襲いかかってきたソールオリエンスに屈して2着。4番人気で迎えた世代の頂上決戦だった。道中は好位をリラックスしながら淡々と進み、直線はいち速くスパート。残り200メートル過ぎで先頭に立ち、しぶとく伸びてライバル勢の猛追を見事にしのぎ切った。

 テン乗りでの勝利は実に69年ぶり。戦前からささやかれていた〝負のジンクス〟を打ち破る勝利だったが、ダミアン・レーン騎手は「ダービーは初コンビでの勝利は難しい?聞いたことなかったですね」と爽やかに笑ってみせた。

 さらに、落鉄していたと聞いた時は驚いた。一つ一つの経験を着実に自分の力に変え、見事に皐月賞のリベンジを果たしてみせた。京都競馬場のモニターで見ていたが、自然と「格好いい…」という言葉が漏れていた。競馬の歴史、血統…知識不足過ぎる記者だったが、もっとがむしゃらに頑張ろうと改めて刺激をもらった一戦だった。今でも日本ダービー馬と聞き、真っ先に頭に浮かぶのはタスティエーラの雄姿だ。

 今年の皐月賞2着馬はリアライズシリウス。距離や、右回りの適性が疑問視されていたが、そんな不安を感じさせない力強い走りで、ホープフルS覇者ロブチェンに4分の3馬身差まで迫った。時には想像を超えた成長を見せる若駒もいる。どんな波乱が起きるのか-。今からドキドキが止まらない。

小田穂乃実 記者

小田穂乃実記者

 2000年兵庫県生まれ。幼少期から大の競馬好きである父に英才教育を受けていた。暴飲暴食が趣味。馬を下から見た時のムフ顔が大好物で写真に収めようと日々画策している。

2013年【キズナ世代】30代・島田敬将 記者

 22年に競馬記者になってから4度の日本ダービーを見てきた。だが鮮明に、今も生き生きとした映像で脳裏に浮かぶのは、キズナが制した13年日本ダービーだ。当時、私は大学生。といっても怠惰な生活がたたって、留年中の身だった。不足する単位、迫り来る就職圧など、見たくない将来の不安を抱える鬱屈(うっくつ)とした日々の中に、数少ない鮮やかな色を持った記憶として残っている。

 周りのおじさん達と視線を送ったWINSのモニターに映る、最後の直線。❶枠①番のゼッケンをつけた美しい漆黒の馬体が、実況アナウンサーの興奮の声とともに後方外から馬群を一気にのみ込んだ。馬券は外したけれど、関係ない。迷いが晴れるような爽快な切れ味に、体が熱くなったことを覚えている。

 鞍上の武豊騎手も、10年の落馬の影響を引きずっていた時期だったと思う。11年にJRAでの連続G1勝利が途切れ、デビュー以来最低となる64勝。翌12年はそれをさらに下回る56勝まで沈んでいた。もがいていた名手が再び駆け上がる姿に、おこがましいが自分を重ね、心を奮い立たせた。

 入社試験の作文のお題は『不死鳥』だった。その時に書いたのが武豊騎手とキズナ。紆余曲折はあったが、なんとか社会人になれたのは人馬のおかげかもしれない。今年の日本ダービーには、キズナ産駒のアウダーシアが出る。今年も誰かの人生を変えるかもしれない日本ダービーが始まる。

島田敬将 記者

島田敬将記者

 1989年宮崎県生まれ。血液型A。大学在学中にパチスロにのめり込む。プロ野球担当を経て、中央競馬担当に。好きな馬はマルターズアポジー。ラジオNIKKEIに解説者として出演中。

2004年【キングカメハメハ世代】40代・刀根善郎 記者

 初めてリアルタイムで見た日本ダービーは、スペシャルウィークが勝った98年だった。以後、日本ダービーは毎年の一大イベントに。高校時代もテレビにかじりつき、ネオユニヴァースが勝った03年は府中で生観戦するほどの競馬オタクになっていた。

 そんな私が社会人1年目に迎えたのが、04年の日本ダービー。栃木の育成牧場で汗と砂にまみれ、ホースマンの端くれになって初めて見る大一番だった。多少は馬を見る目も養われているはず。そう思っていた。

 当時、日本ダービーの基本は皐月賞組が強いと考えていた。タニノギムレット(02年)のようなローテは例外。だからキングカメハメハには半信半疑だった。京成杯3着までは普通の馬だと思っていたら、すみれS、毎日杯、NHKマイルCとあれよあれよの3連勝。それでも私は王道組が強いと信じ、少ない給料から勇気のいる額を地方の雄・コスモバルクに突っ込んだのを覚えている。

 レースは前半1000メートル通過57秒6の超ハイペース。究極の消耗戦をキングカメハメハがねじ伏せ、2分23秒3の衝撃レコードで変則2冠を達成した。「最強の大王が降臨した!」の名実況が響くなか、私の馬券は紙くずに。イチ競馬ファンから脱却したつもりの私に、規格外の強さを見せつけた一戦だった。

 今年は、そのキングカメハメハの孫アスクエジンバラに注目している。皐月賞4着から向かう王道の臨戦で逆転戴冠を果たす-。牧場スタッフから競馬記者に転身した今、22年前の苦い記憶を塗り替えるチャンスかもしれない。

刀根善郎 記者

刀根善郎記者

 1983年埼玉県生まれ。栃木から宮城、滋賀の牧場に計10年以上勤務したGⅠ馬の背中も知るハイブリッド記者。趣味は将棋とストリートファイター6。チーズが大の苦手。

2008年【ディープスカイ世代】50代・井上達也 記者

 栗東トレセンに足を踏み入れたのが95年。競馬を愛する22歳にはボロのにおいも神聖に感じた。当時、専門紙トラックマンの最年少。想定班として任された25厩舎は取材が難しいと聞く厩舎ばかりだ。「この馬どうですか?」なんて聞けば、出直してこい!と叱られる時代(振り返るとありがたく思う)。勉強しろ!と言われても、深夜放送の『中央競馬ダイジェスト』は直線だけ。ネットも普及しておらず、レースリプレイもない。生観戦の一発勝負で鍛えられ、今の自分がある。

 記者のその後を左右する厩舎と出会う。00年の開業と同時に担当した昆貢調教師だ。聞くこと教わること全てが新鮮で斬新。師の予言がバシバシ当たる。画期的な教本だ。08年-。「ダービー馬になるぞ」。ディープスカイが毎日杯を勝った直後、師が予告宣言をした。

 7、8分の仕上げだったNHKマイルCを完勝し、日本ダービーへ。四位洋文騎手が変化を感じ取り、自信を持って挑めるよう、昆師は連日のコンタクトをオーダーした。「上昇度が半端なくてワクワクした。あとにも先にもあんなに急上昇する馬は出会ったことがない」と主戦が驚くほどだから師の狙い通りだ。

 レースは大外一気のごぼう抜き。変則2冠を達成した。初勝利に6戦も要した馬の日本ダービー制覇は前代未聞。デビューから一度も放牧へ出さない異例の在厩調整に、師は「手元に置いて様子を見ながら。トレセン以上の施設はないんだから」と笑った。馬は変わる。トレセンでカラスを見ても驚いていたのに、大観衆のパドックを堂々と歩く姿に胸を打たれた。デビューから取材を重ねた馬が日本ダービー馬になる。そんな極上の瞬間を今年もぜひ味わいたいものだ。今年はデビュー前から取材し、変化や成長に驚かされ続けてきたアスクエジンバラに注目している。

井上達也 記者

井上達也記者

 1972年生まれの53歳。大阪市出身。競馬キンキ~馬サブローを経て05年デイリースポーツに移籍。『名探偵コナン』を愛し、グリーンチャンネル『トラックマンTV』優勝3回と漫画『鉄板競馬』で競馬名人に選ばれたのがプチ自慢。

1989年【ウィナーズサークル世代】60代・村上英明 記者

 激動の昭和が7日で幕を閉じ、平成となった記念すべき競馬の祭典は希に見る大混戦。皐月賞を制したホッカイドウ競馬出身のドクタースパートが4番人気。1、2番人気には皐月賞不出走のロングシンホニー、マイネルブレーブが支持され、皐月賞2着のウィナーズサークルは3番人気。レースはそのサークルが好位から早めに抜け出し、リアルバースデーに半馬身差でV。茨城県産&芦毛馬初の戴冠となった。

 当時、記者はアルバイトの身で地方競馬(南関東)担当。牝馬のロジータが羽田盃、東京ダービー、東京王冠賞の南関東三冠を制した歴史的な年に、自称〝番記者〟として走り回っていた。94年夏に中央競馬担当へ。早速、サークルを手掛けた(他に83年ミスターシービーで日本ダービー2勝)松山康久調教師を取材する機会を得た。当時はジェニュインを筆頭にオープン馬の宝庫で、毎週必ず厩舎にお邪魔した。近寄りがたいオーラ全開だったが、顔と名前を覚えてもらってからは、こちらの稚拙な質問に一つ一つ丁寧に答えてもらった。大いに勉強になり、中央競馬の記者としてやっていける自信も頂いた。

 そんなウィナーズサークルが日本ダービーを制した89年。同じ舞台で行われたジャパンCにロジータが挑んでいた。ピューちゃん(ロジータの愛称)の姿は後半ほとんど映らず最下位。ただ、タイムを見て独り妄想した。季節、馬場状態、レース内容など単純に比較するのは失礼だが、ロジータの走破タイム2分26秒9は〝同期〟の日本ダービーV時計より〝1秒9〟も速かった。もし東京ダービーではなく、日本ダービーに出ていたら…どうでもいい話か。

 今年も好メンバーがそろって群雄割拠。皐月賞で◎にしたロブチェンでもう一丁の予定だが、ゴーイントゥスカイ、コンジェスタスの新興勢力にも魅力を感じている。

村上英明 記者

村上英明記者

 1987年に競馬記者になって一筋。早や40周年。かつては某球団のスラッガーに先駆け、紙面に毎週〝村神様〟の活字を踊らせた。今は南関競馬に軸を置いているが、相変わらずの中央との二刀流。365日予想漬けでボケ防止に努めている。

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