春の越後路に来れば必ず思い出す…ノースフライト初陣の衝撃
今週末は新潟競馬場へ出張することになった。ここのところ何度か福島競馬のことを書いたので、今回は”裏の新潟開催”について触れてみましょうか。
春の越後の地で、今も強烈に印象に残っているのは約四半世紀前、93年の出来事。のちに安田記念とマイルCSを制するノースフライトのデビュー戦に立ち会えたことだ。
週中の現地取材。初陣に騎乗した西園正都騎手(現調教師)が、「加藤敬二(調教師)さんのところの初出走馬、すごいらしいぞ!楽しみなんだ」と、それはそれは息巻いていた。現在は廃止された「3歳未出走戦」を使ってきたのだが、正直なところ、レース前は個人的に『5月にデビューする馬なんて何か問題があるはず。大したことはないだろう』と思っていた。
だが、双眼鏡越しにレースを見ていると、うなるような勢いで2番手を追走して直線は馬なりでぶっちぎり。その駆けっぷりには、あぜんとするしかなかった。自分が裏開催をライブで見たデビュー馬では、今でも間違いなくこの馬が一番強い勝ち方をしたと思う。
当時はまだグリーンチャンネルの開局前で全国的なテレビ放映はなく、なおかつ馬券も重賞以外は現地と一部のWINS(場外馬券場との名称でしたが)でしか買えない状況。必然的に、ローカル競馬場の注目度は現在と比べれば格段に低かった。それだけに、この馬にはそれ以降もおいしい馬券を提供してもらい、実際、同年秋の府中牝馬Sを900万下の身で使ってきた際には単勝7倍をありがたく頂いたものだ。
長らく競馬記者をやっていると、よく『印象に残るレースは?』と尋ねられる。大概は日本ダービーや有馬記念を挙げる方が多く、確かにそれなりの思い出はあるのだが、ワタクシは「94年のスワンS」と即答する。
マイルの女王ノースフライトと、当時は千二で無敵を誇ったサクラバクシンオーが千四という『どちらにとってもベストとは1F違う条件』で激突した。『どちらが強いのか』と、それはもうレース前からワクワクと胸が躍ったものだった。
結果はサクラバクシンオーが勝利し、ノースフライトは2着。ちょっぴり話は逸れるが、この時の思い出が強いだけに、千二のG1を年2回行うのではなく、高松宮記念は千四で施行してほしいと今でも切に思っている。
母としては重賞を制する子を出せなかったが、子どものミスキャストを父に持つビートブラックが12年春の天皇賞を4馬身差で完勝(ちなみにあのオルフェーヴルが単勝1・3倍で11着…)。その血脈はJRAへ十分に貢献した。とにかく、春の新潟へ出張すると必ずノースフライトのことを思い出しますな!
(馬サブロー美浦支局・玉川 祝)
【馬サブローコンテンツ】・僚紙「馬サブロー」栗東支局長・竹村浩行の予想は→こちらをクリック
・“万券ハンター”こと美浦支局長・佐野裕樹の予想は→こちらをクリック
・紙面で人気!スピード指数作者・坂口元一の予想は→こちらをクリック
・スタッフによる予想動画「馬サブローTV」は→こちらをクリック