「もういつ騎手辞めてもいい」 ワグネリアンと叶えた福永家の悲願ダービー制覇【福永祐一連載⑦】

 右拳を力強く握り、福永は勝利の咆哮(ほうこう)を上げた。5番人気のワグネリアンとともに、デビュー23年目でつかんだダービージョッキーの称号。覇を競った川田が、ダノンプレミアムの馬上から祝福。歓喜のウイニングランでは、憧れ続けた光景がみるみる歪んでいった。出迎えた担当助手の藤本も泣いていた。ファンの大歓声に、ガッツポーズで応える。検量室前では、オーナーの金子、指揮官の友道と力強く抱き合った。元騎手の父・洋一も果たせなかった「福永家の悲願」が叶った瞬間だった。

 「ジョッキーをやっていて良かった。夢にまで見たけど、これがダービーを勝った景色かと。父に代わって目に焼き付けました。ようやく、福永洋一の息子として誇れる仕事ができた。いい報告ができます」

 8枠17番。戦前、競馬の神様から試練を与えられた。内枠有利とされるレースで、引いたのは外枠。考え抜いて出した作戦はこれまでと異なる先行策だった。「厩舎とも話して、ある程度ポジションを取りに行こうと決めた。ジッとしていると、外枠ではポジションが悪くなる。掛かる恐れがあったけど、行きました」。好位で流れに乗り、うまく折り合いをつけて直線に向くと、最後は逃げたエポカドーロを「新人騎手のように無我夢中」で追った。その先に、待ち焦がれていた栄冠は待っていた。

 最終レース終了後、福永は少し早く共同会見場に姿を見せた。ヒーローインタビューの準備を待つわずかな時間。馴染みの記者を見つけると、廊下の壁に身を委ね、大きく息をついた。

 「もうこれでいつジョッキー辞めてもええな」-。

 無論、すぐに辞めるとは誰も思わなかったが、これまでの人生で味わったことのない達成感、感動と興奮がそう言わせたのだろう。それほど、ダービー制覇は高く険しい壁で、長年の目標だった。

 「緊張にのまれた」キングヘイローの98年ダービー14着から20年。「騎手として最も悔しい思いをした」と振り返る13年2着のエピファネイア。「もうこのままダービーは勝てないのかも」と、絶望感を味わったこともあった。「父が“最も勝ちたかった”と言っていたレースがダービーと母から聞いていましたから」。騎手を志した時からの使命、重圧-。目に見えないものとも向き合ってきた日々だった。

 自身19度目の挑戦。当時身重だった妻・翠は、里帰りせず、栄養バランスの取れた食事などで献身的にサポートしてくれた。師匠である元調教師の北橋、家族、友人、関係者、ファンが懸命に応援してくれた。レースに勝って流す涙は、所属していた北橋厩舎の管理馬で初めて重賞を制したマルカコマチの99年京都牝馬特別(現・京都牝馬S)以来。そこには、支えてくれた方々への感謝が詰まっていた。

 「いつ辞めてもいい」-。そんな福永の発言を知ってか、知らずか、レース後、2着に敗れたエポカドーロの藤原、10着ステイフーリッシュを管理する矢作という2人のトップトレーナーから、祝福とともに、「もうこれでいつでも調教師になれるな」と声を掛けられたという。同じタイミングで同じことを言われたのは偶然かも知れないが、近い将来、この2人と再び大きな仕事をすることになったのは、必然に思えてならない。

 平成最後の競馬の祭典を制した福永。「新しい元号でもダービージョッキーになりたいです」と高らかに宣言した彼には、実は騎手としてもう一つ大きな望みがあった。それは、ディープインパクトやオルフェーヴルなど、競馬史に名を残すようなスーパーホースとの出会いだった。※敬称略

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