グラスワンダーを育てた男 “名門・尾形3代目”尾形充弘の軌跡【2】

 日本の競馬界に大きな足跡を残した尾形藤吉を祖父に持つ尾形充弘元調教師(70)が、2月いっぱいで定年を迎え35年以上におよぶ調教師生活に別れを告げた。祖父・藤吉、父・盛次(元調教師)の流れを引き継ぐ“尾形3代目”として競馬の盛り上げに貢献し、日本調教師会の会長を務めるなど要職を歴任。3月からはデイリースポーツ『うま屋』の“スーパーバイザー”に就任する大物ホースマンの軌跡に迫った。

 オールドファンなら尾形藤吉という名前を知らない人はいないだろう。歴代最多となるJRA通算1670勝、ダービー8勝をはじめ8大競走39勝と空前絶後の記録を残した。“大尾形(おおおがた)”と呼ばれ、競馬の神様と称されることもある。現代風にいえば、競馬界の元祖レジェンドと言えばいいだろうか。

 尾形充弘は藤吉の孫でありながら、大卒後は競馬とは関係ない企業に就職した。しかし、祖父が体調を崩して入院、見舞いに行った際に思いがけない言葉を掛けられた。

 「競馬に戻ってこないか。親父(盛次調教師)の仕事を手伝ってみたらどうだ」

 折しも労務関係などでさまざまな問題が顕在化してきた時期でもあり、また世代交代を促すために調教師の定年制度を導入する動きが見られ始めたという。普段は競馬の話をすることはほとんどなかったという祖父からのひと言。後継者の育成ということも頭にあったのだろうか、その思いをくみ取って26歳での転身を決めた。

 すぐに北海道の吉田牧場で修行に入り、さらにイギリス・ニューマーケットで1年間過ごした。帰国後、75年10月に尾形藤吉厩舎で調教助手となった。まだ馬房数が制限されていない時代である。ピーク時ほどではないとはいえ、東京競馬場の厩舎は50馬房はあったという。「とてもおじいちゃんと孫という関係じゃなかった。もちろん、“先生”と呼びました」と尾形は当時を振り返る。

 いまだに史上最強の牝馬といわれるクリフジ(34年)や、同厩舎のグレートヨルカとのMG対決を制したメイズイ(63年)など、多くのダービー馬を輩出した藤吉の最後のダービー制覇は77年。ラッキールーラは28頭立ての24番枠という不利をはねのけ、ハードバージの追撃を頭差でしのいで14年ぶりのダービーVをもたらす。しかし勝利の美酒に酔ったのか、その日の深夜に東京・府中の藤吉の自宅が火事になるというハプニングもあった。(文中敬称略)

 ◆尾形充弘(おがた・みつひろ) 1947(昭和22)年9月27日生まれ、大阪府出身。75年に尾形藤吉厩舎で調教助手となり、81年からは尾形盛次厩舎に所属。82年3月に調教師免許を取得し、同年10月に開業。18年2月に定年により引退。JRA通算800勝(うち重賞23勝)、G1はグラスワンダーでの98、99年有馬記念連覇など4勝。10~12年には日本調教師会の会長を務めた。

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