嫉妬心から生じた側室・常盤姫の自害と死産 今も語り継がれる涙止まらぬ悲劇「鷺草伝説」

 今も東京・世田谷の奥沢で語り継がれている、嫉妬心が生んだ愛憎劇「鷺草(サギソウ)伝説」を知っているだろうか。鷺草というのはラン科の高さ約30センチの多年草で、7月から8月に空に舞う白鷺にも似た純白の小さい花を2、3個つける。花言葉は「無垢」「神秘的な愛」「夢でもあなたを想う」というロマンチックなものだ。1968年に世田谷区の「区の花」にもなった。この鷺草がみられるスポットが世田谷・奥沢にある。

 東京に住む人間でも、奥沢という地名はあまりなじみがないかもしれないが、日本有数の高級住宅地・田園調布、自由が丘からも徒歩圏内にある閑静な住宅地である。その奥沢にあるのが、延宝六(1678)年に呵硯上人が創建した「九品山唯在念佛院浄真寺」、いわゆる九品仏だ。九品仏は東急大井町線・九品仏駅から徒歩3分と近いが、東京都指定の有形文化財(彫刻)や世田谷区指定の文化財が点在する都内有数の観光スポット。私も何十年かぶりに訪れたが、小学生や幼稚園児の見学や写生する人で賑(にぎ)わっていた。

 この九品仏はかつて世田谷城主・吉良頼康によって築かれ、家臣の大平氏が守っていた支城の奥沢城だった。天正十八(1590)年、豊臣秀吉の小田原征伐後に廃城になり、今は寺内に石碑や土塁を残すのみである。寺内の仁王門を抜けた右側に、かつて「鷺草園」と呼ばれた一角がある。今は縮小されたが、それでも夏には白い鷺草が咲き誇る。

 「鷺草伝説」は世田谷区だけでなく、隣接する目黒区の公式ホームページにも掲載されている、今も語り継がれる悲劇の物語だ。話を要約すると以下の通りである。

 奥沢城主・大平出羽ノ守のまな娘・常磐姫が吉良頼康の側室になり、寵愛を受けて子どもを身ごもった。だが、頼康には常磐姫以外にも9人とも12人もいわれる側室がいた。側室たちは頼康を寵愛を独り占めする常磐姫をねたみ「お腹の子は殿の子か疑わしい」とまことしやかに告げ口をした。次第に追い詰められた常盤姫は身の潔白を立てるために自害を決意し、輿(こし)入れの際に連れてきた1羽の白鷺の足に父への遺書を結びつけて放ったという。

 ところが、狩りをしていた頼康がこの白鷺を射落としてしまった。みると足に常磐姫の遺書が結びつけてある。あわてて戻ったが時はすでに遅く常磐姫は自害して果て、傍らには死産した男の子の姿があった。そして射落とされた白鷺が、己の飛翔する姿の花を咲かせる草、すなわち鷺草になったという。あまりにも悲しい常磐姫の物語。来年も鷺草は白く小さな花を咲かすのだろうか。今度は夏に訪れようと思った。

(デイリースポーツ・今野 良彦)

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