爆風スランプ、35年ぶり武道館で生きざまを見せつける 河合「次はいつできるか分からない。ちゃんとやりたいね」

 大きな玉ねぎの下に、あの4人が帰ってくる。ロックバンド・爆風スランプが11日、35年ぶりとなる日本武道館公演を行う。聖地でのステージを前に、7月22日にはミニアルバム「今こそ!爆風スランプ」もリリース。ボーカル・サンプラザ中野くん(65)とギター・パッパラー河合(65)の2人が、これまでの武道館公演の思い出を振り返り、名曲「大きな玉ねぎの下で」の誕生秘話などを語った。

 長い時を経て爆風が“ホーム”に帰ってくる。中野くんは「(武道館は)いつもチャレンジ。今回も変わらない」と涼しい顔。河合も「気合を入れて、250日ぐらい前から毎日カウントダウンしている」と笑った。

 さすが、ベテランの余裕だ!で、その本音は?「すごくビビりまくっています(笑)」(中野くん)。いや、この境地こそが、爆風の伝説を作り上げた原点でもある。

 初の武道館公演はデビュー翌年の1985年。「当時のプロデューサーが『来年12月13日の金曜日という面白い日に武道館を押さえた。とにかく満員にしなさい』って」と中野くん。昭和すぎる指令!!「困ったな。これはお客さん入んないなぁ」という状況で生まれた曲が「大きな玉ねぎの下で」。ただ、誕生経緯はイメージと全く違った。

 「空席に理由をつけた歌です。空席がいっぱいあっても、全部ペンフレンドの女の子が来てくれなかったからって」。マジか!?思わず心の声が文中に漏れる衝撃…。それが落ち着く間もなく「本当にお笑いの歌。当時でもペンフレンドをしている人っている?という時代だから、笑ってもらえると思った」と続けた。

 だが、周囲の「もう少し頑張るといい歌になりそう」の声に奮起。武道館をロケハンし、幾度も詞を練り直し、ペンフレンドは切なく淡い恋を表す言葉に変わり、笑いどころか涙がにじむ名曲へ。あのユーミンが「この子は詞の書き方がわかっている」と称賛したと伝え聞くに至ったという。

 その初武道館は「1曲目で(機材の)トラブルがあって『もう終わったな、俺ら』って。でも、何とか乗り切って『12月13日金曜日奇跡の武道館』というビデオにもなった」(河合)と、爆風らしく成功を収める。89年も1月7日から3日間の公演を予定も、昭和天皇の崩御(1月7日)で2日間が中止。何かと伝説的逸話が付いて回った。

 それだけに中野くんは「武道館はホーム感がある」と語る。余談だが、こっちがホームでは?と思われる中野サンプラザは「あのプロデューサーが『当たり前すぎるから、おまえらはやるな』って」と、バンドの公演は一度もないから面白い。

 「爆風のことを知らなくても、武道館を玉ねぎって言っている若い人がいる。すごいですよね」と河合が話すほどに、今も昔も武道館は爆風の“代名詞”。「年齢的にも次はいつできるか分からない。ちゃんとやりたいね」と気合も十分だ。

 中野くんは、少し違う思いもある。「武道館が成功に終われば、爆風スランプを長くやっていける。今までを超える大ヒット曲を生み出したい。それが野望です」。流れる汗もそのままに、走り続ける。それこそが爆風スランプだ。変わらぬ“生きざま”を、大きな玉ねぎの下で見せつける。

 ◆爆風スランプ(ばくふうすらんぷ)82年にサンプラザ中野(当時)、パッパラー河合、ファンキー末吉、江川ほーじんの4人で結成。84年に「週刊東京『少女A』」でメジャーデビュー。翌85年には初の日本武道館公演を行った。88年に「Runner」がヒットし、同年の紅白歌合戦に出場。89年に江川が脱退し、バーべQ和佐田が加入して現行体制になる。その後も「月光」「リゾ・ラバ」「大きな玉ねぎの下で~はるかなる想い」などヒット曲を連発。99年に活動休止。デビュー40周年の2024年に再始動した。

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