久米宏さん逝く 81歳、肺がん 自由な表現者として駆け抜けて元旦に死去 「まるでニュースステーションの最終回のように」と麗子夫人

  アナウンサー、キャスターとして、TBS系の音楽番組「ザ・ベストテン」やテレビ朝日系の報道番組「ニュースステーション」などで人気を博した久米宏(くめ・ひろし)さんが、肺がんのため1日に死去していたことが13日、分かった。81歳。埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身。葬儀は近親者のみで営まれ、お別れの会などは開催しないという。軽快なトークに加え、報道番組での歯に衣着せぬ政権批判で、お茶の間の大きな支持を獲得した。

 深い教養と抜群の知識を誇り、それらを明快かつポップに伝える稀代の名司会者としてテレビ界に一時代を築いた久米さんが、新しい年の初めにこの世を去っていた。

 早大で同じ演劇サークルに所属していた田中真紀子元外相は、日本テレビ系「情報ライブ ミヤネ屋」(月~金曜、後1・55)に電話出演。昨年末に久米さんに対談を持ちかけたことを明かし、当時の様子を「あまり話ができなかった。4カ月ぐらい前からほとんどしゃべれないし、飲めないし、病院を3つぐらい回って、後半はすごく大変だったと奥さまが言っていた」と語った。

 関係者によると、久米さんは5~6年前から腰痛に苦しんでおり、昨年末も痛そうにしている姿が目撃されたという。またTBS入社直後に肺結核を患っており、21年4月からは医者の指示で完全禁煙になっていたことを明かしていた。

 久米さんは1967年に早大政経学部を卒業してTBSにアナウンサーとして入社。75年にコント55号が出演するクイズ番組「ぴったしカン・カン」の司会を萩本欽一の指名で務め、全国的な人気アナウンサーとなった。78年から俳優・黒柳徹子と「ザ・ベストテン」の司会で名コンビを組み、スピーディーでユーモラスなやりとりで人気を不動のものとした。

 79年に退社してフリーとなり、85年から新番組「ニュースステーション」のメインキャスターに就任。小宮悦子アナウンサーとの名コンビで夜のニュース番組戦争をリードした。番組は4795回放送され、平均視聴率14・4%を記録したが、十二分にやったこと、スタミナ切れ、契約切れを理由に、04年3月いっぱいで降板し、番組も終了した。最後の放送では「僕にご褒美」として、瓶ビールをグラスに注ぎ、「乾杯!」の言葉とともに一気に飲み干した。

 06年からは21年ぶりのラジオレギュラー番組となるTBSラジオ「久米宏 ラジオなんですけど」がスタート。20年6月に「集中力とか根気とかね、そういうものが明らかに衰えてきている」などとして、13年9カ月で番組を終了。レギュラー番組は全て消滅した。

 プライベートでは熱心な広島カープファンとして知られ、1989年の開幕前には「巨人が優勝したら坊主になる。日本一になったら日本テレビに行ってバンザイする」と宣言。巨人が日本一になると、宣言通り坊主頭になり、日本テレビの番組内で「読売ジャイアンツ、バンザーイ!」と絶叫した。くしくも最後のメディア登場は、24年6月発売の「文芸春秋」7月号で、同じカープファンである映画監督の西川美和氏との対談だった。

 20年6月27日の「ラジオなんですけど」最終回で久米さんは「これでお別れってわけじゃない。またチャンスがあったら、いつか、そのうち、ぜひ」と語っていたが、そのチャンスに巡り合うことなく旅立った。

  ◇  ◇

 1969年に久米さんと結婚し、56年にわたって連れ添った麗子夫人は、所属事務所を通じてコメントを発表した。「久米は、最後まで“らしさ”を通したと思います。大好きなサイダーを一気に飲んだあと、旅立ちました。まるでニュースステーションの最終回でビールを飲みほしたあの時のように」と、最期の様子も説明。「自由な表現者として駆け抜けた日々に悔いはなかったと思います」「多くの皆さまに向けて自分の思いを偽らずに発信できることが、彼の最大のモチベーションでした」とジャーナリスト魂を表現した。

 ◆久米宏(くめ・ひろし) 1944年7月14日生まれ。埼玉県浦和市(現さいたま市)出身。早大政経学部卒業後、1967年にアナウンサーとしてTBSに入社。79年に退社しフリーに転身。「ザ・ベストテン」「ニュースステーション」など多くの人気番組に出演した。

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