黒柳徹子「私の涙が見えますか?」久米宏さん死去に沈痛 ザ・ベストテンでコンビ「本当の親友だった」 各界から追悼

  昭和から平成、令和と日本のテレビ界をリードしてきたキャスター、アナウンサーの久米宏さんが、1日に肺がんのため81歳で死去していたことが13日、分かった。久米さんは1985年、日本におけるニュースショーの先駆けと言えるテレビ朝日系「ニュースステーション」の初代キャスターに就任。鋭い視点と舌鋒で、ニュース番組の“革命児”として広い支持を集めた。TBS系「ザ・ベストテン」でともに司会を務めた黒柳徹子(92)は、自身のインスタグラムで悲痛な思いを吐露。さらに各界から追悼の言葉が数多く寄せられた。

 1978年1月の第1回放送から85年4月の第375回放送まで「ザ・ベストテン」で久米さんとコンビで司会を務めた黒柳は、訃報を受けて自身のインスタグラムを更新。悲しみをつづった。

 インスタグラムでは2ショット写真を掲載し、「久米さん!私には親友という人が、いるようで、いなかった。あなたは、その中で『ザ・ベストテン』以来本当の親友だった」と述懐。「政治のことも、日常のことも、打ち合わせなしにピッタリ合った」と深い関係性を記した。自身が設立した「トット基金」の理事になっていたことにも触れ、「先月の理事会に見えなかったので、『どうしたの?』と手紙を出した。返事は来なかった」と、心配していたことも告白した。

 「ザ・ベストテン」はスター歌手の登場に加え、2人の軽妙な掛け合いも人気の要因に。黒柳の独特の髪形が「たまねぎヘア」と称されるようになったのも、久米さんが番組内で「タマネギのおばさん」とイジッたのがきっかけだった。黒柳は「久米さん、本当に悲しいです。あなたとのナマ放送の厳しい、やり取り懐かしいです」と呼びかけた。

 さらに「本当は涙もろく優しい人だった、久米さん、『さよなら』は言いたくない、いつか会える時が来たら、続きを話しましょう。『私の涙が見えますか?』本当に友達でいてくれてありがとう。クールに見える久米さんへ」としみじみ。10歳以上年下ながらも最強の“相棒”だった久米さんの急逝に、無念の思いを隠せなかった。

 ◇吉川美代子アナウンサー(TBS時代の10期後輩)「間の取り方とか、1秒でも大切にする姿勢。その後の私のアナウンサー人生にとても勉強になりました。久米さんからの直接のアナウンス指導は、ありませんでしたが、後から考えてみると、『コトバじゃなく、自分で見て・努力することによって自分のモノにする大切さ』を教えていただいたと思います」

鮮やかな話術

 ◇楠田枝里子(日本テレビ系「おしゃれ」で共演)「スピード感、絶妙な間の取り方、するどい切り込み方、一瞬で場の空気を転換する鼻の鳴らし方、などなど。毎回、鮮やかな話術に感嘆し、ただただ勉強させていただく日々でした。久米さんが『ニュースステーション』を始められて、少しして、とあるインタビューを目にしました。キャスターとしての思いについて聞かれた彼は、きっぱりとおっしゃったのです。『いえ、ボクはキャスターじゃありません。司会者です』この発言に大きな衝撃を受けました。放送というメディアの中での立ち位置を、私なりに見い出した思いでした」

誰よりも優しい

 ◇堀井美香(TBS「久米宏 ラジオなんですけど」で11年あまりコンビ)「誰よりも思いやりのある、優しい方でした。謹んで、ご冥福をお祈りいたします」

どうか安らかに

 ◇長塚京三(早大で同じ演劇サークルに所属)「訃報に接し唯々びっくりしています。昔の仲間と会うことがあり、皆、歳をとってしまって、近々に会いたいものだねなどと話していた矢先のことでした。どうか安らかにと祈るばかりです」

美学を貫かれた

 ◇小島慶子(TBS「久米宏 ラジオなんですけど」の初代アシスタント)「06年から09年まで、週に一度ラジオの生放送をご一緒しました。初対面の時に『僕は共演者をアシスタントだとは思っていない。対等な立場なのだから、遠慮せずに思ったことをどんどん話してほしい』とおっしゃったのが印象的でした。予定調和を嫌い、権力に阿ることなくご自身の美学を貫かれた姿勢から多くのことを学びました」

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