シーナ&ロケッツ・鮎川誠 内田裕也さんが愛したロック魂 これからも…

 ロック歌手で俳優としても活躍した内田裕也(うちだ・ゆうや、本名雄也=ゆうや)さんが17日に肺炎のため79歳で死去したのを受け、半世紀近い親交があるロックバンド「シーナ&ロケッツ」の鮎川誠(70)が19日、デイリースポーツに「僕にとっての恩人。裕也さんが愛したロック魂をこれからも受け継いでいく」と語った。

 鮎川と裕也さんとの出会いは1973年。鮎川がメンバーで、故郷・福岡で活動していたロックバンド「サンハウス」を裕也さんが見に来て以降、親交が生まれた。

 サンハウスは裕也さんがプロデュースした74年のワンステップ・フェスティバルに出演。裕也さんが主催した大みそかの「ニューイヤー・ワールド・ロック・フェスティバル」(NYWRF)には、シーナ&ロケッツとしてデビューした直後の78年から41回連続で出演する間柄だった。

 15年2月に鮎川の妻シーナさんが死去した際は、裕也さんのツイートが“一報”に。通夜では裕也さんが弔辞を読み、「新しい日本のロックの夜明けに貢献してくれた」とシーナさんをたたえた。

 最後に会ったのも昨年大みそかのNYWRFだった。鮎川は「楽屋の裕也さんは車いすに座り、蚊の鳴くような声だったのに、ステージに立つと、観客のエネルギーが乗り移ったようで魂の歌いっぷり。本当に素晴らしかった」と述懐。「闘病しているのは知っていたけど、来年もやることしか考えていなかったので、普通にお別れした。だから(訃報を聞いたときは)来る時が来たとビックリした」と吐露した。

 気性の激しかった裕也さんだが、「それは、誰かがロックを粗末に扱っているのを見た時。僕らミュージシャンにとってはジェントルマンだった。それほどロックが好きで、一生をささげたということ」と解説する。

 主催者の逝去により、今年のNYWRF開催は現状未定だが、鮎川は「僕らはバンドマンやけん、主催するとかはできんけど」と前置きしながら、「41回連続出場したのは、僕らにとって最高の勲章。その一員でおりたい。オファーを受けたら?もちろん喜んで参加するよ」と、真っ先に立候補した。

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