あの大物もバンドメンバー…若き日のライブハウス回り 杏里インタビュー【3】
来年、デビュー40周年を迎える歌手の杏里(56)が7日、神戸市のデイリースポーツを訪れ、「CAT’S EYE」「悲しみがとまらない」「SUMMER CANDLES」といった多くの大ヒット曲を生んだキャリアや、初のスタジオライブアルバム「FUNTIME」、40周年への思いなどを語った。
第3回では、1983年に「CAT7S EYE」が大ヒットするまで続いた、ライブハウス回りの日々が振り返られる。後にサザンオールスターズやMr.Childrenを手がけたあの大物プロデューサーもバンドメンバーだった。
◇ ◇
-記録を調べますと、杏里さんは1981年8月1日、神戸のライブハウス「チキンジョージ」に出演されていますね。
「まだ『CAT’S EYE』(1983年)とかがブレークする全然、前ですね。ちょうど(杏里のバンドの)オリジナルメンバーと申しますか、当時、小林武史くん(キーボード)とか、確か江口信夫くん(ドラムス)もいたと思うんですけど。ギターのブッチャー、浅野(祥之)くん。ベースが(中村)キタローですか。あの辺りのメンバーと来た記憶があるんですが。今でも皆さん、ブレークしている素晴らしいスタジオミュージシャンたちですよね。小林武史くんはプロデューサーで頑張っていて。
当時、ライブハウスツアーをよくやっていまして。全国にライブハウスがありましたよね。一度旅に出ると1週間とか10日、帰って来られない状態の中でツアーを回っていた。音楽、ライブをガッツリやっていた時代だったかなあ」
-その土地土地を楽しむような余裕はありましたか。
「みんな若かったから、土地土地に行った時、お食事とか、遊びに行ったりとか、色んなところで色んな方と出会うので、色んなところに遊びに行ったりとかね。すごくアナログな時代だったので、すごく楽しめましたね、色んな意味でね。みんなで居酒屋に行くのが一番楽しかったな。
神戸だと、元町とかよくみんなで行ってましたね、そういえば。元町は好きな町で。ホントに色んなところに行きました、神戸は。色んなところに連れて行っていただいて。
みんな飲食に命をかけていたっていうか。結局、旅に出るとみんな、そういうのが楽しみというか。おいしいものを食べに行ったり。お酒はあの当時は、まだそんなに飲んでいなかった感じですか。メンバーとかスタッフがすごく飲んでいたんで、それについて行った感じですかね。
とにかく若かったし、音楽もガッツリ-今もそうですけど-どっぷり、色んなことに没頭できたというかね。すごく濃厚な時代でしたね。ヒット曲が出る前だったので、みんな緊張感もあったんですけど、すごく余裕というか、自由さはありましたよね」