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作曲家の船村徹さん死去 戦後歌謡界に多大な貢献 恩師の死に北島三郎「悔しい」

 船村徹さん
 弔問に訪れた船村徹さんの自宅を出る鳥羽一郎と北島三郎=藤沢市(撮影・棚橋慶太) 
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 戦後の歌謡界発展に多大な功績を残した作曲家で文化勲章受章者・船村徹(ふなむら・とおる、本名福田博郎=ふくだ・ひろお)さんが、16日に心不全のため神奈川県内の病院で死去していたことが17日、分かった。84歳だった。船村氏は「王将」「矢切の渡し」「風雪ながれ旅」「兄弟船」など多数のヒット曲をはじめ約5000曲を生み、師匠として北島三郎(80)、鳥羽一郎(64)らを育てた。北島と鳥羽は都内で会見し、悲しみを語った。

 文化勲章の受章パーティーでの元気な姿からわずか1カ月。歌謡界の重鎮・船村さんが旅立った。

 妻・福田佳子さん(78)によると、船村氏は16日の午前11時ごろ体調不良を訴え、救急搬送された。人工呼吸などの治療を施したが、午後0時35分。帰らぬ人となったという。昨年4月に心不全と診断され、5月に心臓を手術。9月3日には茨城県水戸市で行われた盟友の作詞家・高野公男氏の「没後60年祭演奏会」で復帰。「このコンサートに出るために心臓を手術した」と笑顔を見せた。亡くなる前日もカレーうどんを食べるなど、最近は食欲も戻り、お酒もたしなんでいた。

 それだけに弟子たちも驚きだった。BSジャパン「サブちゃんと歌仲間」の収録後に会見した北島三郎(80)は「つい1カ月前は元気に喜んでいたのに。何でこんなになるのか。悔しさ、さみしさ、つらさを感じる」と唇をかみ、何度も「悔しい」と繰り返した。

 「北島三郎」の名付け親だった。60年もの付き合いがあるが、1月のパーティーで「頑張ってきたな。これからも魂ある歌を歌っていけ。年代なんて関係ないから。いい歌を作っているじゃないか」と珍しく褒められたという。「それが私への最後の言葉になった。つらいですね。自分の最後を悟っていたのか」と涙をこらえながら話した。会見後は神奈川・藤沢の自宅を弔問、ただひたすら恩師の顔を見つめた。

 船村氏は、東洋音楽学校(現東京音楽大学)を卒業後作曲家としてデビュー。学生時代からの盟友で作詞家・高野公男氏とのコンビで1955年「別れの一本杉」(春日八郎)が大ヒット。その後「王将」(村田英雄)、「みだれ髪」(美空ひばり)、「風雪ながれ旅」(北島三郎)「兄弟船」(鳥羽一郎)などを手掛けた。

 「土の香りが伝わってくるのが日本人の音楽」とこだわり、繊細な情緒を刺激するメロディーで聴く人を魅了。5000曲以上を書き上げたが、注目を浴びなかった作品を、毎年自身の誕生日である6月12日に「歌供養」として法要した。

 弟子の歌手育成も独特で、歌を教えず、人間教育が中心だった。まき割りで火をたき、風呂を沸かせ、食事を作らせた。いきなりスケートやゴルフに挑戦させたこともある。幅広い経験が、深みのある歌につながると信じた。歌の前に人を作った、不世出の作曲家だった。

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