船村徹さん 自身を支えた大音楽家への対抗心 ベートーベン大したことない

 戦後の歌謡界発展に多大な功績を残した作曲家で文化勲章受章者・船村徹(ふなむら・とおる、本名福田博郎=ふくだ・ひろお)さんが、16日に心不全のため神奈川県内の病院で死去していたことが17日、分かった。84歳だった。船村氏は「王将」「矢切の渡し」「風雪ながれ旅」「兄弟船」など多数のヒット曲をはじめ、師匠として北島三郎(80)、鳥羽一郎(64)らを育てた。船村さんの原点は何だったのか。

 船村さんは戦後、復興を目指す日本に多くの心に残る歌を届けてきた。その原点は「ベートーベンもシューベルトも、あいつらだけ偉くなっている。大したことないじゃないか」との思いだった。

 「若気の至りでそう思った」と船村さん。そのきっかけは1959年だった。自身が音楽を手掛けたアニメ作品が、欧州の賞でグランプリを獲得した。これを機に何度も欧州に呼ばれ、海外の音楽家と仕事をした。そこで感じたことだった。

 「ドイツ人、フランス人と付き合うほど“オレは日本人!お前らと違う”という意識が血液の中から出た」という。海外の音楽に肌で接したことで、ベートーベンやシューベルトに対して「大したことない」と自身に言い聞かせ、臆する気持ちを克服しようとした。そこから「大衆の音楽を日本人として作ろうとなった」と振り返った。

 相棒の作詞家・高野公男氏と一緒になり「焼け野原で、泥水にまみれている日本人のためになる歌を作ろう」と届けてきた。高野氏が亡くなった後もずっと「土の香りが伝わってくるのが日本人の音楽」というこだわりを貫き続けた。「船村演歌」の原点だった。弟子の北島も「我々にも船村さんが染みついている」と言うほどだ。

 日本の音楽を大切にしてきた船村さんは「文科省の悪口を言うわけではないけれど、子供に英語なんて教えることより、ちゃんとした日本語を教えるのが大事」と、まずは母国語の教育を充実させることを訴えていた。

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