蛭田みな美 乗り越えた苦境は飛躍のため 苦しみ抜いて取り戻した自信「優勝を目指せるようなゴルフ。楽しみ」3年ぶりプロ2勝目へ
JLPGAツアーを予選から決勝まで独占配信しているU-NEXTと、デイリースポーツが注目選手を取り上げる連載「推し活応援宣言」。今回は後半戦に入って好調をキープしている蛭田みな美(29)=YUASA=を取り上げる。昨季は夏場以降に調子を落としてシード落ち。苦しい時期を乗り越えて自信を取り戻した今、3年ぶりのプロ2勝目が視界に入ってきた。
11日、スタンレー・レディース・ホンダ最終ラウンド。蛭田みな美は7バーディー、ノーボギーの65をマークし、今季ベストの4位に入った。「集中できていたし、パターも構えた瞬間に入りそうな感覚があった」。トレードマークの柔和な笑顔が秋空に映えた。
1年前、その笑顔は影を潜めていた。2025年は6月の半ばまで予選落ちゼロと好調。それを受け「さらなる飛躍を」と8年間使っていたアイアンを最新モデルに切り替えた。
すると、わずかにスイングのバランスが変わったからだろうか、ドライバーが右に大きくそれるミスが頻発。「何をどうやっても曲がってしまう。飛距離も落ちてしまって…」。8月以降の15試合で、予選通過わずか3回という大スランプを迎えた。
どうしたらいいのか…。10月の樋口久子三菱電機レディースのショット練習場では、クラブを手にすることすらできず、ただ頭を抱えて長時間座り込んでいる姿も目撃されていた。
「オフの息抜きもうまくできなかった。家族にだけは『生きていくのが辛すぎる』と言葉をぶつけていました」
7月半ばには30位だった年間ポイントランクを、最終的に53位にまで落とした。まさかのシード落ち。シーズン最終戦の大王製紙エリエールレディース終了後には「本当に辛かったです」とだけ話し、そのまま泣き崩れてしまった。
だが不思議なことに、直後にラウンドをしてみると、ショットがまったく曲がらなくなっていた。半年に及ぶ苦境の中で、スイング自体の修正はすでにできていたのだ。
「とにかくクラブが気持ちよく振れるようになって、曲がりもなくなりました。やっぱり『1ポイントでもとらなければ』というプレッシャーで、縮こまってしまっていたのだと思います」
今シーズンも前半は結果が出なかった。「ドライバーとアイアンの球筋をドローで統一しようと思ったのですが、うまくいかなかった。でも、それは去年と違って、自分で意図した変化。辛くはなかった」。実際にアイアンの球筋をフェードに戻すと、それだけで結果が出るようになった。
思えば、重圧はずっとあった。2023年にツアー初優勝を飾り、人気が爆発。翌年から2年続けて、ツアーの顔である「JLPGAブライトナー」に任命された。
「でも、実際にはJLPGAツアーで優勝できる実力があったわけではない気がするんです。知名度は上げたいと思っていて、すべてがありがたかったのですが、でもそれに見合った結果を出さなければいけないとも感じていました」
今は少し違うことを思う。「SNSに『2度目の優勝を見るまで死ねない』とコメントくださる方がいるんです」。結果が出なくなっても、応援を続けてくれる。重荷ではなく、素直にうれしい。応えたいと思う。
発する言葉にも変化がある。スタンレー・レディース・ホンダ開幕の直前までは「勝てるゴルフになった、という手応えがあったことが人生で一度もない」と言っていた。だが、最終日終了直後のインタビューでは、こんなコメントをした。
「優勝を目指せるようなゴルフができた。来週以降が楽しみ」
本気で優勝を狙うなら、重圧は必ず伴う。それでも「優勝争いよりもシード争いの重圧の方がずっと辛かった。それを乗り越えられたという自信はある」とうなずく。
師匠の中嶋常幸は生涯3度のスランプを乗り越え「その時々、キャリアや人生にあったスランプが来る。どのスランプにも意味があった」と振り返る。蛭田も苦境を乗り越えた経験を糧に、本当の意味でツアーを支える存在になる。
【蛭田みな美(ひるた・みなみ)】
◆レジェンドの愛弟子 1997年7月15日、福島県東白川郡鮫川村生まれ。3歳でゴルフを始める。2013年から中嶋常幸が主宰する「トミーアカデミー」に参加。翌14年に日本女子アマで優勝し、同アカデミーに初の主要タイトルをもたらした。
◆黄金世代のお姉さん 1学年下の勝みなみ、畑岡奈紗ら黄金世代とともにナショナルチームに選出され、15年のネイバーズトロフィーチーム選手権団体の部で優勝。同年の日本ジュニア15-17歳の部で優勝。16年のプロテストに合格。
◆家族の支え 地元で獣医師を務めていた父・宏さんがキャディーとして帯同。福島の自宅にクラブ工房をつくるなど、コース内外で娘を支える。23年にCATレディースで悲願のツアー初優勝を果たした際もバッグを担いでいた。兄の玲於さんもプロゴルファー。
