松尾雄治さん 平尾さんは「ラグビー界を引っ張る人だった」 七回忌に際し思い出語る

 日本ラグビー界のスター選手だった平尾誠二さんが53歳で死去してから20日で6年。新日鉄釜石(当時)の人気選手として平尾さん率いる同志社大と名勝負を繰り広げ、日本代表で一緒に戦った松尾雄治さん(68)が七回忌に際して取材に応じ「ラグビーがどうあるべきかを考える後継者だった。平尾の提言がなくなってしまったことは残念」と惜しみ、思い出を語った。

 「一級品。俺を追い抜いてラグビー界を引っ張る人だなとすぐに分かった」。1982年、28歳で代表の中心だった松尾さんは、19歳で代表入りした平尾さんがパスする姿を見て特別な才能を直感した。自身の「ミスター・ラグビー」の呼称を継ぐことになる後輩と意気投合し、次第にチームメートに内緒で飲むようになった。

 85年1月15日の日本選手権では、7連覇を狙う新日鉄釜石と全国大学選手権3連覇の同志社大のエースとして対戦。左足を負傷していた松尾さんは現役引退を宣言して強行出場し、有終の美を飾った。試合後、悔しいはずの平尾さんが祝勝会に現れ、祝福の言葉を掛けられた。「敵と仲良くすることが少なかった時代。彼の優しさを感じた」と振り返る。

 一線を退いた後に語り合ったのがだ円球の未来だった。「俺は嫌われ役になってどんどん外から意見を言う。おまえはうまく日本協会をまとめて偉くなって会長になってくれ」。日本代表監督を務めた後、2019年W杯日本大会開催に向けた業務にも携わる平尾さんに、何度もそう伝えていた。

 14年3月。松尾さんが経営する飲食店の一番奥で、他の客に付き合わず未明まで酒を酌み交わした。腹を割った話は尽きず「松尾雄治という人間を本当の意味で分かってくれた」という。その2年半後に天国へ旅立った後輩へ「もっとラグビーを突き詰めたかっただろう。無念だったと思う。でも素晴らしい人たちに愛され、平尾らしい一生だった」と思いをはせた。

 ◆松尾雄治(まつお・ゆうじ)元祖・ミスターラグビー。1954年1月20日、東京都出身。目黒高から明大に進みSH、SOでチームをけん引。4年時、大学日本一&日本選手権制覇。新日鉄釜石では日本選手権7連覇を含むV8を達成した。日本代表でも不動の司令塔で24キャップ。キック、パス、戦術眼に優れ華麗なステップでも魅了した。7連覇後の1985年に引退しスポーツキャスターなどで活躍。

 ◆平尾誠二(ひらお・せいじ)ミスター・ラグビー。1963年1月21日、京都市出身。伏見工3年時に全国初制覇。同大で大学選手権3連覇。19歳時、史上最年少で日本代表に選出。松尾の率いた新日鉄釜石には勝てず7連覇を許した。86年に神戸製鋼入りし日本選手権7連覇を達成。CTB、SOと代表でも主力として35キャップ。W杯は3度出場し91年大会でジンバブエから初勝利を挙げた。1998年、引退し日本代表監督、神戸製鋼の総監督兼GMを歴任。胆管細胞がんと闘病し、2016年10月20日に死去した。

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