元関脇・麒麟児死去 67歳多臓器不全 天覧相撲で富士桜と壮絶突っ張り合い
大相撲の元関脇麒麟児(きりんじ)で、激しい突っ張りの名力士だった垂沢和春(たるさわ・かずはる)さんが3月1日、多臓器不全のため自宅で死去した。日本相撲協会が13日、発表した。67歳。千葉県出身。葬儀・告別式は家族葬で執り行われた。
近年は、糖尿病と腎臓を患っていた。相撲協会関係者によると、垂沢さんは2015年夏ごろに頭部の腫瘍摘出手術を受けた影響で顔面にまひの症状が残り、体調が悪かった。
故北の湖や2代目若乃花(ともに元横綱)らと同じ昭和28年生まれで「花のニッパチ組」の一人として人気を誇った。天覧相撲の1975年夏場所8日目には富士桜と壮絶な突っ張り合いを繰り広げ、昭和天皇が身を乗り出して観戦されたという逸話を残した。
67年夏場所で二所ノ関部屋から初土俵を踏み、74年秋場所に新入幕。75年名古屋場所で新関脇となり、幕内に通算84場所在位した。三賞受賞は11度で、金星6個を獲得した。
88年秋場所を最後に35歳で現役引退後、北陣親方として二所ノ関部屋で後進を指導した。相撲協会では主に巡業部に所属。大相撲中継では爽やかな語り口の解説で親しまれた。