侍ジャパン中野拓夢の母・節子さんが手記 拓夢を見ていて思う「夢をかなえるってすごい」

 6回、三塁打を放つ中野(撮影・金田祐二)
 野球を始めた頃は右打ちだった阪神・中野(家族提供)
2枚

 「カーネクスト 2023 WBC1次ラウンド 東京プール 日本代表13-4韓国代表」(10日、東京ドーム)

 途中出場の中野拓夢内野手(26)が2安打で勝利に貢献した。三回の攻撃で遊撃手・源田が負傷し、四回の守りからグラウンドへ。三塁打を含むマルチ安打を放った息子に向けて、母・節子さんが手記を寄せた。

  ◇  ◇

 拓夢(たくむ)へ

 侍ジャパンに選ばれたって分かった時、本当にウチの拓夢でいいんでしょうかって思っていた。でも、拓夢からLINEで「決まったよ~」って来て、私も良かったね、頑張ってねと返信しました。

 1996年6月28日。あの日のことは鮮明に覚えています。2800グラムと小さな子だったけど、3人兄弟の中で唯一、私に似てるの(笑)。上の子2人は旦那似、拓夢は私似だったから、私、うれしかったのよね。

 昔から根っからの野球少年。小学生の頃から友達と学校のグラウンドで野球をしたり、テレビでもずっと野球を見ていた。有料放送で阪神のキャンプの映像を見ていたのが懐かしくて。あの時から「プロになりたい」って言い続けていたよね。

 昔から、何でも「一番」でないと気が済まない性格。特にスポーツに関しては、何でも一番を取りに行っていたよね。短距離、長距離で毎年学校の歴代記録を更新していたことを覚えています。

 小学校を卒業して中学に入る時、拓夢は「僕は一生野球をやりたいから。お願い、シニアのチームに入れて」とお願いしてきて。言ったことはやる意志の強さを感じるし、本当にポジティブだね。

 弱音を吐く姿はほとんど見たことがない。びっくりしたのはプロ1年目のオフ、正月に帰省していた時に足をケガしたこと何も言わなかったよね?大したケガじゃなかったからなんだろうけど、私報道で知って。そのくらい言ってよ(笑)。

 でも、社会人野球に行きたがらなかった時期もあったね。東北福祉大から進路を選択する時、大学からプロに進めなかった拓夢は落ち込んでいたけど、大学の大塚監督が「社会人で2年やってから、プロに行ったらいいんじゃないか」って言ってくれて、拓夢は三菱自動車岡崎に進むことになりましたね。

 私が拓夢を見ていて思うのは、夢をかなえるってすごいな、ってこと。昔から何をするにも時間がかかる子だったから、プロに入っても2年くらいは我慢しないといけないよねと言っていたけど、努力して夢をかなえていく。毎年ケガをせずに1年間戦ってくれていることがうれしい。

 昔は前に出ない子だったね。いつも、記念写真を撮る時は人の後ろに隠れちゃうんだから。それが今はテレビなどでのインタビューでしっかり受け答えしている姿を見て、どうしたの?って(笑)。

 子どもの頃からイチローさんが好きで阪神では同じ背番号51。ちっちゃい頃は今岡さんのユニホームを着ていたけど、侍ジャパンでは同じ背番号7。好きだった選手とこうやって何かつながっていくのも拓夢ってやっぱり運が強いんだろうね。

 社会人を経て24歳で入団したから、高卒の18歳で入った子たちとは全然違う。その分、年数が短くなってしまうかもしれないけど、ケガをせず一日でも長く野球選手でいてほしいな。お父さんも言っていたけど、プロ野球選手である時間を楽しんでね!!

 母より

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