【98】半世紀以上続く画期的CM TV放送スポンサーのファインプレー

 「日本高野連理事・田名部和裕 高校野球半世『記』」

 甲子園の高校野球で初めてテレビ中継されたのは1953年の第35回選手権大会だった。NHKのテレビ放送はこの年に開局、大相撲の5月場所に続いて甲子園から高校野球を中継した。

 この大会の決勝は松山商と初出場の土佐の四国同士の史上2度目の対戦となった。九回2死まで土佐が2対1とリードしていたが、土壇場で同点に追いつかれ、延長十三回、ついに松山商に決勝点を奪われ、球史に残る熱戦が終わった。

 記者席から健筆をふるっていた飛田穂洲翁は「唯々感激の一言に尽きる血みどろの試合だった」と書き残している。全国の高校野球ファンは初めて送られるテレビの映像に熱狂した。

 民放の朝日放送は前身の大阪テレビが、4年遅れて57年の第39回選手権大会からテレビ中継を開始した。春の選抜大会で優勝した早稲田実・王投手や岐阜商・清沢投手が注目された大会だった。広島商が27年ぶり4度目の優勝を遂げた。

 朝日放送は、当初コマーシャルなしで高校野球中継をした。その後61年にはスポンサーに湯浅グループ(湯浅電池、湯浅金物など)が名乗り出た。

 しかしスポンサーといっても番組の前と後ろにCMを入れるだけで、試合中は一切CMなしで放送した。翌年は試合のインターバルだけ画面の4分の1を切り取り、横ロールで社名告知スーパーを流すだけとした。ワイプ(wipe=~をぬぐう)CMといわれている。

 湯浅佑一社長(当時)はのちに日経新聞の「私の履歴書」で「テレビでもラジオでもコマーシャルはコマーシャルの姿勢がある筈で、特定の時間と位置を保ちながら有効適切な方法で行われるべきである。良き番組の後味や気分を損ねてしまうようなコマーシャルは厳禁されるべきである」と語っている。

 当時放送料は3000万円だった。しかしこの取り組みがいろいろなメディアに取り上げられ、PR効果は予想を遥かに超えるものになったという。

 湯浅社長は学生時代に野球や陸上選手を経験したスポーツマンで、日本体育協会の理事も歴任した。晩年は旧知の佐伯達夫会長に乞われて日本高野連の最高顧問に就任した。

 このワイプCMは、3年後から住友グループなどのスポンサーにも継承された。イニングの合間に球場からの映像を切らずに、スタンドで見守る野球少年たちのほほえましい風景に切り替え、画面下4分の1にスーパーでCMを流している。半世紀以上経った現在も続いている。

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