広島・坂倉 野球人生の礎になった日大三時代 衝撃的だった現プロ選手「150キロを連発してて…。想像以上でした」

 高校時代のエピソードを語ってくれた坂倉
 横浜時代の藤平
 日大三時代の坂倉。リードやキャッチングなど、捕手としての総合力への評価が高かった
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 広島の坂倉将吾捕手(27)がデイリースポーツ読者に本音を明かす一人語り『野球は楽しく』。第2回のテーマは「高校時代」。今夏、2年ぶりに夏の甲子園に出場する名門・日大三(東京)で過ごした3年間のエピソードや、対戦して衝撃を受けた選手などを振り返った。

 デイリースポーツ読者の皆さん、坂倉将吾です。第2回は日大三で過ごした高校時代について語りたいと思います。

 中学では八千代中央シニアに所属していました。3年の春に全国大会で優勝したのをきっかけに、かなり多くの高校からスカウトを受けました。チームの監督からは冗談でしょうけど、「慶応と早実以外ならどこでも行けるよ」と言われましたね。

 その中でも日大三には、関東大会に出場した2年の秋から声をかけてもらってました。入学を決めたのは、最後の大会が終わった3年の夏ぐらいですかね。決め手の一つになったのは小倉全由(まさよし)前監督が直接、声をかけてくださったことです。当時、日大三は監督が直接スカウトすることはないと、うわさで聞いていたんですが、わざわざ会いに来てくださって。11年の夏に甲子園で優勝したのをテレビで見ていましたし、その監督から直接、声をかけてもらったことは大きかったですね。

 捕手として入部したのですが、1学年上に小藤翼さん(現・JR東日本)という素晴らしい捕手がいたので、1年の秋からは外野をやっていました。経験がなかったポジションだったので、たくさん練習しましたね。同校出身で2学年先輩の伊藤裕季也さん(現・楽天)にはノックを打ってもらって、一から技術を教えてもらいました。プロに入って複数ポジションを練習することもありますが、高校の経験があるので大変だと思ったこともありません。

 日大三といえば“強打”のイメージがあるかもしれませんが、平日の練習は守備から始まります。そして打撃練習をして自主練習という流れでした。自主練習は22時か23時ぐらいまでやっていた記憶があります。もちろん次の日も朝から授業があるわけですが…。その様子はご想像にお任せします(笑)。

 冬休みに行う恒例の冬合宿は本当にしんどかったです。2年生の時はけがのため、参加できず語れる立場ではないのですが、今思い返すとようあんなことやっていたなと(笑)。朝は5時ぐらいに起きてそこからまずはランメニュー。そして平日と同じ練習をやって、最後は特守で締めるという流れでした。どのくらいきつかったかと言うと当時、朝のアラームに設定していた曲が恐怖症になるぐらいです(笑)。

 3年間でその後プロ野球選手になる選手とたくさん対戦しました。作新学院の今井(現・西武)と入江(現・DeNA)もよく覚えていますが、一番の衝撃的だったのは、横浜高校の藤平(現・楽天)です。3年時に練習試合が解禁となる3月最初の練習試合で対戦したんですが、まだ雪が降るぐらい寒い中、150キロを連発してて…。小学生の頃から親交があって、高校ですごいことになっていると聞いてはいたんですが想像以上でした。ドラフト1位でプロに行くのも納得でしたね。

 僕自身、甲子園には出場できませんでしたが、周りの人に恵まれ、たくさんのことが学べた3年間だったなと思います。練習すればうまくなるんだと身をもって経験できました。僕の野球人生の礎になっていることは間違いないです。

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