【永山貞義よもやま話】野間の躍進に見る根本監督の「若者優秀論」

 元中国新聞記者でカープ取材に30年以上携わった永山貞義氏(73)がデイリースポーツで執筆するコラム「野球爺のよもやま話」。広島商、法大でプレーした自身の経験や豊富な取材歴からカープや高校野球などをテーマに健筆を振るう。

  ◇  ◇

 今年のカープ回顧編。起伏に富んだ1年だっただけに、あれこれと思ったことが多く、まだ書き残しのネタがあったため、消費期限寸前につづってみた。今回は野間峻祥の躍進から見た根本陸夫監督についての思い出である。

 長年、プロ野球を見てきていた中で、歯がゆく思っていた選手のうちの一人がこの野間だった。俊足、好打の一級品に成り得る能力を備えながら、ここまでの歩みを振り返ると、一進二退を繰り返してきた7年間。それがやっと今夏から結実したと推察すれば、まさに「桃栗3年、野間8年」といったところではなかろうか。

 野間のような遅咲きの選手や若手の台頭を目にする時、条件反射的に記憶が湧き出てくるのが1968年、新監督の根本さんが打ち出した若手の育成を最重点に据えたチームづくりである。

 その教育係としてOB中心のスタッフに、外部から小森光生、岡田悦哉の両コーチを招へい。阪神から老兵の大打者、山内一弘を獲得したのも、卓越した打撃理論と徹底したプロ意識が、若手の手本になり得る選手だったからでもあった。

 球団史の中で、最大の躍進のきっかけとなった当時の話を根本さんから聞いたのは、西武の監督をしていた80年。衣笠祥雄が連続試合出場の日本記録を更新した年だった。その時、若手の育成について根本さんは、目を細めて言ったものである。

 「俺はねえ。衣笠で20敗、安仁屋(宗八)と外木場(義郎)で30敗ほど捨てるつもりで、若手の彼らを使ったんだよ」。こうした奇抜な発想を即、実践するあたりが後の西武、ダイエーのゼネラルマネジャー時代、「らつ腕」「仕掛け人」などと称された根本さんの真骨頂なのだろう。

 これら若手は案ずるよりは産むが易しで、大いに躍動。安仁屋が23勝、外木場が21勝すれば、衣笠も打率・276、21本塁打をマークし、球団初のAクラス(3位)に貢献したのだった。

 そして翌年には、さらに関根潤三、広岡達朗の大物コーチを招へい。新人の山本浩二や水谷実雄、三村敏之ら若手を厳しく鍛えた指導が土台となって、75年の初優勝に結びついたのである。

 根本監督の根幹には、「若者は優秀」との思想があった。その論拠を要約すれば、「経験豊富な年配者は迷った時、過去に戻って無難な結果をもたらすことができる」と見なす一方、「戻るべき過去がない若者は、前に行くしかないので、正しい道に乗り換えることができれば、破壊力がある」との考えからである。

 この「若者優秀論」を野間に重ねれば、まさに幾度の失敗にも、常に前を向き続けてきたここまでの道のりとピッタリと思える。その道程はフルスイングを基本に、以後はすり足打法やバットを寝かせる打法などを模索してきた人生だった。

 こんな試行錯誤を繰り返した末に今年、やっと身の丈に合った打法をつかんだのだろう。バットを短く持ち、左翼方向を強く意識したその粘っこさは、リードオフマンとして期待され続けてきた姿になったと見えた。

 本来ならここで「開眼」と太鼓判を押したいが、「桃栗3年、九里8年」の例もある。九里亜蓮は8年目の昨年、初の二桁勝利だけでなく、最多勝のタイトルまで獲得。しかし、今年の成績が6勝8敗に終わったのは、30歳を超えて結実した若手には、体力面などによる「9年目のジンクス」があるからなのだろうか。

 その意味では来年、30歳を迎える野間の粘着打法は、真価が問われる年。俊足装備のこの好打者が1番打者に定着しないと、新井貴浩監督が唱える「機動力野球」の復活も、空念仏に成りかねない。

 ◆永山 貞義(ながやま・さだよし)1949年2月、広島県海田町生まれ。広島商-法大と進んだ後、72年、中国新聞社に入社。カープには初優勝した75年夏から30年以上関わり、コラムの「球炎」は通算19年担当。運動部長を経て編集委員。現在は契約社員の囲碁担当で地元大会の観戦記などを書いている。広島商時代の66年、夏の甲子園大会に3番打者として出場。優勝候補に挙げられたが、1回戦で桐生(群馬)に敗れた。カープ監督を務めた故・三村敏之氏は同期。阪神で活躍した山本和行氏は一つ下でエースだった。

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