カープ新人王に立ちはだかる「2年目のジンクス」投手陣は軒並み勝ち星減少

 元中国新聞記者でカープ取材に30年以上携わった永山貞義氏(72)がデイリースポーツで執筆するコラム「野球爺のよもやま話」。広島商、法大でプレーした自身の経験や豊富な取材歴からカープや高校野球などをテーマに健筆を振るう。

  ◇  ◇

 球春到来-。赤ヘル党にとっては、カープの動向があいさつ代わりとなる季節になった。顔を合わせると、すぐさま「あれがどうの」「これがこうの」との言葉が交わされる昨今。こうして選手の今季や戦力全体を占うのは、この時期ならではの楽しみであろう。

 そんな中で今年、野球通のファンが専ら遡上(そじょう)に載せるのが、森下暢仁に向けられた「2年目のジンクス」。確かにそれへの対応は、V奪還とともに興味が尽きない話題には違いない。

 これまでカープ番記者、あるいはヤジ馬として、その現象は何度も目にしてきた。このジンクスを「大活躍した翌年は不振に陥る」と定義づければ、記憶に新しいのが薮田和樹。2017年の15勝3敗から翌年は2勝1敗に終わったのが典型的なそれだったろう。

 「では過去の新人王は」と思って調べたのが別表。これを見ると、野手は小早川毅彦の打率がアップ、梵英心の本塁打と打点が急増とそれほどジンクスを感じさせなかったのに対し、投手は野村祐輔を除いて軒並み、勝ち星が減っている。

 この原因として考えられるのが、データが少ない時点での対決は投手有利に働きやすいということか。これが翌年になると、球種や配球など大量のデータを残した投手ほど研究され、あげくは打ち込まれやすくなるということなのだろう。

 そして投手、野手とも共通していえるのは、周囲の期待から受けるプレッシャー。特に出足につまずくと、焦りが芽生え、そこから焦りを呼ぶという悪循環に陥るのが、これまでよく見てきた原因のように思える。

 さらにシーズンオフでの調整の失敗は以前、よく言われたこと。これは日本でも話題になった米国のフィクション小説「赤毛のサウスポー」の続編、「二年目のジンクス」(集英社)の中でも記されているから、普遍的な問題だったのだろう。

 小説によると、女性の大リーガー第1号となった主人公は持ち前の制球力とスクリューボールを操り、ワールドシリーズでも大活躍したが、オフに宴会などに引っ張り回されたつけで体重が増加。2年目に泣いたのだった。

 もう一つ、原因らしきものを加えると、このジンクスと無縁でないと思えるのは若者が陥りやすい錯覚。これについては作家の渡辺淳一さんが世阿弥が著した能の芸論書「風姿花伝」から引用して述べている。

 その中で世阿弥は若さからくる一時的な美しさを「時分の花」と記した。この意味を若者は時として、「自分の花」と勘違いするというのが渡辺さんの説。実際は未熟な花なのに、「自分は誠(まこと)の花」、いわば「本物の花」と思い込んで慢心するものらしい。

 その伝からすれば、すべてが美しく見える森下は「時分の花」といえるかもしれない。この花を「誠の花」にするためには「初心忘るべからず」と世阿弥は言って、稽古に励む必要性を説いている。まさに「2年目のジンクス」に対する貴重なアドバイスの一つと読めよう。

 森下の「2年目のジンクス」については、デイリースポーツウェブ評論家の北別府学さんの論を読んだ。それによると、経験上、心配されているのが疲労の蓄積。これさえきっちりケアできていれば、乗り越えられるとの見方だった。そうなれば、赤ヘル党にとっては万々歳。以後は北別府さんと同様、「エースの道」を堂々と歩んでいくはずである。

 ◆カープ新人王の成績

【投手】

▽津田恒美

82年 11勝6敗 3・88

83年 9勝3敗 3・07

▽川端 順

85年 11勝7敗 2・72

86年 3勝3敗 2・41

▽長冨浩志

86年 10勝2敗 3・04

87年 5勝6敗 3・38

▽山内泰幸

95年 14勝10敗 3・03

96年 11勝8敗 3・90

▽沢崎俊和

97年 12勝8敗 3・74

98年 1勝0敗 4・94

▽野村祐輔

12年 9勝11敗 1・98

13年 12勝6敗 3・74

▽大瀬良大地

14年 10勝8敗 4・05

15年 3勝8敗 3・13

【野手】

▽小早川毅彦

84年 ・280 16本 59打点

85年 ・290 14本 45打点

▽梵英心

06年 ・289 8本、36打点

07年 ・260 18本 56打点

 永山貞義(ながやま・さだよし)1949年2月、広島県海田町生まれ。広島商高-法大と進んだ後、72年、中国新聞社に入社。カープには初優勝した75年夏から30年以上関わり、コラムの「球炎」は通算19年担当。運動部長を経て編集委員。現在は契約社員の囲碁担当で地元大会の観戦記などを書いている。広島商高時代の66年、夏の甲子園大会に3番打者として出場。優勝候補に挙げられたが、1回戦で桐生(群馬)に敗れた。カープ監督を務めた故・三村敏之氏は同期。元阪神の山本和行氏は一つ下でエースだった。

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