楽天・浅村 平成生まれ初2000安打達成「うれしい、恥ずかしい」史上56人目 年少7番目34歳6カ月、大阪桐蔭高出身初
「楽天2-1日本ハム」(24日、楽天モバイルパーク)
楽天の浅村栄斗内野手(34)が24日、楽天モバイルパーク宮城で行われた日本ハム10回戦の一回に山崎から右前適時打を放ち、史上56人目、平成生まれの選手で初の通算2000安打を達成した。34歳6カ月での到達は史上7番目の年少記録。楽天在籍の選手が到達するのは、2015年の松井稼頭央以来で2人目。大阪桐蔭高出身者では初の達成となった。お立ち台では涙を見せるなど、苦しみながらもたどり着いた偉業となった。
歓喜に満ちた満員のスタンドだが、浅村にはなぜかシーンとして聞こえた。お立ち台で感情をこらえることができなかった。帽子を目深にかぶり、目頭を押さえるも止まらない。「うれしいです」。涙、涙の2000安打達成。苦しみは昇華され、もがき続けた日々が報われた。
偉業へ、王手をかけて挑んだ一戦だった。1死一塁で打席に入ると、小深田が二盗に成功。舞台は整った。チェンジアップを「長所」だという右方向へ強くはじき返した。長く、険しくもあった超一流の称号をかけた挑戦。「2000本で涙流す人なんていないでしょう?恥ずかしいと思って」。止まれ-と念ずれば念ずるほどあふれた。
決して体は強い方ではなかった。ケガを数えたらいくつもの指が折れる。肉離れもあれば、肩が外れたこともあった。2年前には軽度の肉離れもした。だが、不思議と休む選択肢はなかった。「簡単にもう試合出ないって言いたくなかった。そういう癖がつくのも嫌だったんですよ」。強い意志は最後まで折れない。
体が重いと感じ、体温計を手に取ると41度の高熱。そんな時でも、浅村はグラウンドに立つことを諦めない。「試合後、救急車で病院に行った」。点滴を打って翌戦も出場した。年間通してしんどい時は必ずあることを知っていた。そこでどれだけ歯を食いしばってできるか。「若い時に諦めていたら、今できてないね」と昔からぶれず、貫いてきた信念が原点だ。
戦い続けることが誇りだった。だが、20日の西武戦で15年から続いていた連続試合出場が1346でストップ。「(心に)おおっきな穴が開いている感じはあります」。気持ちを切り替えることは容易じゃなかった。夜にはLINEが100件以上も届いた。皆が驚き、心配した夜でもある。
「みんな連続試合への価値を持っていてくれたんだなって思うとうれしかった。自分だけの記録だと思っていたので」
普段通りに振る舞ってくれる家族の存在、一人じゃないと思わせてくれた友達。浅村自身が「原点」と呼ぶ大阪桐蔭高時代のクラスメートは野球部を問わず、22日の西武戦から球場に連日駆けつけてくれていた。再出発するには十分だった。
順風満帆だったかのような17年。だが叱られて、怒鳴られて-今がある。13年にはサヨナラ適時失策で敗戦すると、「守備に就きたくないメンタルになった。守備が、野球が怖い」と吐露。弱気な顔がそっとのぞく。その都度立ち上がり、逃げなかった今が間違っていなかった答えだろう。
勝ってお祝いしようという、みんなの気持ちがうれしかった。「投手陣は終盤すごいプレッシャーの中で投げていたと思う。グッとくるものがありました」。頼もしい仲間とともに刻んだ、平成生まれでは初の2000安打。涙は晴れ、浅村はまたグラウンドに向かう。
◆浅村栄斗(あさむら・ひでと)1990年11月12日生まれ、34歳。大阪府出身。182センチ、90キロ。右投げ右打ち。内野手。大阪桐蔭高では3年時に夏の甲子園大会で優勝。08年度ドラフト3位で西武に入団。10年3月31日、ソフトバンク戦で1軍初出場、プロ初安打を放つ。同年8月10日の楽天戦でプロ初本塁打。13年には平成生まれとして初の打点王を獲得した。18年に2度目の打点王に輝き、同年オフに国内FA権を行使して楽天へ移籍。20、23年には本塁打王、21年には侍ジャパンに選出され東京五輪で金メダルを獲得した。





