東洋大姫路・岡田監督 履正社時代は選手の投票でメンバー選考、同じ実力なら下級生優先 阪神・坂本がお手本 教え子記者が直撃
履正社高を2019年夏の甲子園優勝に導き、22年から母校の指揮を執って今春選抜高校野球大会に出場する東洋大姫路・岡田龍生監督(63)を履正社時代の教え子であるデイリースポーツ・中谷大志記者(26)が直撃インタビューした後編は、メンバー選考の裏側について。教え子である阪神・坂本誠志郎捕手(31)の野球ノートエピソードにも迫った。
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東洋大姫路・岡田監督(以下、岡田監督)「中谷らも投票していたでしょ。履正社の時はメンバーを投票で決めるんですよ。僕と部長とキャプテンと副キャプテンとかで開票する。生徒らはみんな知ってるよな。開票の仕方とか」
中谷記者(以下中谷)「そうですね」
岡田監督「不正は一切なしで。投票の後『どうやった?』ってキャプテン、副キャプテンに聞く選手もおったやろうけどな。中谷はどう受け取ってた?」
中谷「僕らの時はそういう話はしなかったですね。誰を投票したとか言った覚えがないですね」
-普段の取り組みを見て選手が票を入れるのか。
岡田監督「選手から見てこんな選手が絶対(メンバーに)入ったらあかんってやつを僕がレギュラーで使ってても、投票で入れんかったらいいやんって言ってたよな」
中谷「ミーティングで言ってましたよね」
岡田監督「言ってる言ってる。履正社は同じ実力やったら下級生優先っていう考えがある。最後に下級生と上級生が実力で競ってもキャプテンが下級生の選手をっていう意見を出していた。キャプテンはそんなのシビアやから。最後の夏でも上級生を上げることはしなかったな」
中谷「平等で公平ですよね」
岡田監督「でもここ(東洋大姫路)にきてそれをしてないねん。しないんですかっていう生徒もいたけど、ここは部員が110人いて練習試合は三つに分かれる。自分で見て客観的に判断できるなら投票できるけど、人の話が情報になってしまうからね」
-今は指導者が判断しているのか。
岡田監督「指導者陣で判断しますね。最終的にはキャプテン、副キャプテンに相談してね」
中谷「僕らの時から野球ノートをつけていた。岡田先生が最初に出すモデルは(現阪神)坂本さんのものだった。お手本ですよね」
岡田監督「今までの野球ノートできっちり書いていたのは2人やで。多田先生(現履正社監督)と坂本。まとめ書きして全然練習でやっている内容と違うこと書いてる選手もおるやんか。大体見ててね、毎日書いてるかどうか」
中谷「多田先生とか坂本さんは気づいたこととか感じたことを細かく書いていましたよね」
岡田監督「坂本は今もしてるんじゃないかな。坂本は人を見ていたりそういう感性はすごいと思うよ。これデイリーが書いてくれていたんやけど、(試合後に)ベンチでペットボトルを拾っている坂本の記事を載せてくれてて。ペットボトルがその辺に捨ててあったんかな?あとで掃除の人が来るんやろうけど、坂本は自分らで出したゴミは自分たちで捨てると。ちょうどこのタイミングで選手の部室も汚れていて。ちょうどその記事を生徒らに見せて。坂本にも電話をした」
-就任して3年で甲子園出場。実感は。
岡田監督「履正社の時にいた3人(岡田監督、前履正社部長で現履正社・多田監督、前履正社部長で現大阪体育大・松平監督)みんな監督なってるねん。履正社でやっていたことでこれが優勝できた要因の一つかな、と思っていることも同じで。多田監督はそのまま引き継いでやっているけど、松平先生と俺は(チームが変わって)同じような感じ。今までできていたことが今、全然できないなと同じことを思っているんじゃないかな。思いのほか2年と半年で勝てたのは大きいよな」
◆岡田龍生(おかだ・たつお)1961年5月18日生まれ、63歳。大阪府出身。東洋大姫路、日体大で主将を務め、卒業後は鷲宮製作所でプレー。桜宮で2年間のコーチを経て、87年に履正社の監督に就任。甲子園は春夏通算13度出場。2014年、17年のセンバツで準優勝し、19年の選手権で初優勝。22年4月から東洋大姫路の監督に就任。
◆中谷大志(なかたに・たいし)1998年3月9日生まれ、26歳。大阪市出身。174センチ、78キロ。右投げ右打ち。現役時代のポジションは投手で最速は142キロ。5歳から野球を始め、13年に履正社高に進学。卒業後は関学大を経て、20年にデイリースポーツに入社。編集部、巨人、ゴルフを担当し、25年から関西のアマチュアスポーツなどを取材する。趣味は散歩、飲み歩き。




