侍ジャパン稲葉監督「金」で恩返し “ノムラの考え”東京五輪でも生かす

 南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務めた野村克也氏が11日午前3時半、都内の病院で虚血性心不全のため死去した。84歳。テスト生で南海に入団し、65年に戦後初の三冠王を獲得するなど、数々のタイトルを獲得。現役引退後は「ID野球」を掲げ、ヤクルト監督時代に4度のリーグ優勝、3度の日本一を飾り、「ノムさん」の愛称で親しまれた知将が、静かに息を引き取った。葬儀は密葬で営まれ、後日、お別れの会が開かれる予定。

 野球日本代表「侍ジャパン」の稲葉篤紀監督(47)が、東京五輪での金メダル獲得で、野村氏への恩返しを心に刻んだ。ソフトバンクのキャンプ地へ向かう車中で接した訃報。沈痛な面持ちで「まさかと。非常にビックリしています」と心境を吐露し、「立派な監督になりましたよ、という報告ができるようにしっかりやっていきたい」と誓った。

 運命の出会いだった。法大4年時、当時明大3年だった息子・克則(現楽天1軍作戦コーチ)の応援に来ていた野村氏の目に留まった。その後のドラフトで、他球団に指名される前にヤクルトから3位指名。「獲っていただいた恩返しをしようとヤクルト時代を過ごしてきた」という。縁から始まったプロ野球人生だった。

 野村氏の下では主に2番を打った。印象に残る一つに「捕手のことを知りなさい」という教えがあった。当時巨人の正捕手だった村田真一(前巨人ヘッドコーチ)のリポートを命じられ、「配球を思い出しながら書いた」という。4年間、たたき込まれたID野球が礎となり、プロ通算2167安打につながった。

 最後に会ったのは18年1月。昨年12月には「野村監督を囲む会」の誘いがあったが、参加できなかった。「もう話すことができないのかなというね…」。教えを請うことは、もうできない。ただ、培った“ノムラの考え”は生きて続けている。「教えていただいたものを思い返しながら、どうやって勝っていけばいいかを考えていきたい」と決意を込めた。

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