智弁和歌山・高嶋監督勇退 72歳体限界「大阪桐蔭倒せず悔い」
高校野球の監督として甲子園歴代最多の68勝を挙げ、3度の甲子園優勝を果たした智弁和歌山の高嶋仁監督(72)が25日、和歌山市内の同校で記者会見し、勇退を発表した。プロ野球の阪神などを経て昨年から同校コーチを務めるOBの中谷仁氏(39)が24日付で新監督に就任。高嶋監督は同日付で智弁学園(奈良)と2校を指導する名誉監督に就いた。退任理由にノックができなくなったことなど体力的な問題を挙げ、「大阪桐蔭を倒せなかったことが一番悔いが残る」と振り返った。
48年間も酷使した72歳の体は限界だった。高嶋監督は「ノックができなくなったことが大きな要因の一つ。もう一つは体力的なもの。この年になるといろんな病気もある。薬も飲んでいる」と明かした。6年ほど前に医師から止められ、この4、5年は激しいノックから離れていた。「100回大会に出場できたので理事長にお願いしていた」と節目の年にユニホームを脱ぐことを決意した。
高校野球100年以上の歴史で最も多い68勝。しかし「選手が勝ってくれて数が増えただけ」と数字にこだわりはなかった。一方で「悔いが残っている」と自ら切り出したのは「今売り出し中の大阪桐蔭を倒せなかったこと」。今春のセンバツ決勝を含め昨春から5連敗している因縁の相手の“打倒”は「中谷新監督に引き継いでほしい」と託した。
監督として最多の38度聖地に立った。「甲子園から帰って1週間もすると震えが来る。甲子園に行きたいという禁断症状。だから『このやろー』と声が出る。それが原動力」。始まりは17歳の夏。長崎・海星2年で出場した甲子園の入場行進で足が震えた。あの感動を教え子全員に味わわせたい。禁断症状は最後まで消えなかった。
1学年10人(17年度から12人)の少数精鋭は、特待生制度がない中で内容の濃い練習を行うための苦肉の策。寮もなく、近年は和歌山市内の有力選手が県外へ流出することから、軟式出身も手塩にかけて育ててきた。少数だからこそ目配りできた。「グラウンドで話す、練習後に話す、ノックで話す。たまにはボールぶつけることもある。監督と選手の絆ができあがる、その瞬間を大事にしてきた」と厳しさで知られた指導理念を語った。
来春には中学3年の孫が入学予定だが「息子はともかく孫はそういじめるわけにいかない」と、ともに聖地を目指す道は選ばなかった。それでも夢は尽きていない。「今は広場でキャッチボールができない。小さい子どもたちに教えられたら」。好々爺(や)のように見える眼光はまだ鋭い。


