阪神・原口 不屈16年の日々に涙 「戦闘服」タテジマ姿で引退会見 最後まで「戦力に少しでもなれるよう」

 目に涙をためて、野球人生を振り返る原口(撮影・田中太一)
 ユニホーム姿で引退会見に臨む原口
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 阪神の原口文仁内野手(33)が30日、西宮市内の球団施設で現役引退会見に臨んだ。度重なるけがや育成落ち、大腸がんも乗り越えた現役生活。周囲への感謝の気持ちを口にし、16年間の思い出を振り返り涙を流した。CS、日本シリーズへ向けては、戦力となることを意気込み、最後まで全力で戦うことを宣言。2日・ヤクルト戦(甲子園)の試合後には引退セレモニーが行われる予定となっている。

 会見場に現れた原口はスーツ姿ではなく、ユニホーム姿だった。表情に曇りはない。笑顔で真っすぐな思いを語った。

 「少し寂しい気持ちもありますけど、本当に多くの方々に支えられてここまでやってこられた感謝の気持ちが大きいです」

 球団に引退の意向を伝えたのは9月下旬。2軍暮らしが続き、「思ったようにプレーできず結果が出なかったこと」が一番の理由だった。帝京高から2009年度ドラフト6位で入団。「タテジマに縁があったので」と阪神でユニホームを脱ぐことを決めた。

 入団してからは度重なるけがで育成落ちも経験。それでも「何とかタイガースの1軍の優勝に貢献したい」と常に志を高く持っていた。1軍に初昇格したのはプロ7年目のこと。「一人で鳴尾浜の室内で…」と人知れず打ち込んだ日々を思い出すと、涙がこぼれた。

 だからこそ16年4月27日・巨人戦(甲子園)で放ったプロ初安打は「特別な一本」だった。19年1月には大腸がんを公表。リハビリを乗り越え、同年6月4日・ロッテ戦(ZOZO)の九回代打で放った適時二塁打も「あの球場にいたからこそ味わえた」と格別だった。

 何度も壁を乗り越えられたのは、「野球が本当に大好きだ」という気持ちを持ち続けられたからだ。小さい頃から何をやっても三日坊主だったが、野球だけは違った。「そういうものに出会えたことがうれしかったですし、人生が豊かになった。野球と出会えて良かった」。愛妻と娘たちの存在も大きかった。「何が起きても普段通り接してくれてありがたかった」と感謝の思いがあふれた。

 この日は甲子園で1軍の全体練習に参加し、円陣であいさつ。会見では秋山ベースボール・アンバサダー、岩崎、岩貞、梅野、島本から花束を贈られ、ハグを交わした。2日・ヤクルト戦(甲子園)の試合後には引退セレモニーが予定されているが、そこで終わりではない。「クライマックス、日本シリーズと戦いが続いていくので、その戦力に少しでもなれるように」とポストシーズンも最後まで戦い抜く。

 その気持ちを忘れたくなかったから、「スーツは早いかなと。ユニホームが戦闘服なので」とタテジマ姿で会見に臨んだ。引退後は「野球と社会に貢献したい」というビジョンも思い描いている。でもまずは最後まで、全力でプレーする姿を応援してくれたファンに届ける。

 ◆原口 文仁(はらぐち・ふみひと)1992年3月3日生まれ、33歳。埼玉県出身。182センチ、97キロ。右投げ右打ち。内野手。帝京高から09年度ドラフト6位で阪神入団。13年からの育成契約を経て、16年に支配下復帰。18年の代打安打23本は桧山進次郎に並ぶ球団タイ記録。19年1月に大腸がんであることを公表。手術を経て、6月に1軍復帰を果たした。22年にはポジション登録を捕手から内野手に変更。24年オフには国内FA権の行使を宣言するも、阪神と契約を結んで残留した。

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