ワースト更新か 東大70連敗に思う 

 今春の東京六大学野球リーグで4月20日、東大が史上ワーストタイの70連敗を喫した。2010年秋から、実に3年半も続く黒星。不名誉な記録樹立を阻止すべく、3日の早大戦に挑む。

 今から16年前の1998年秋。東大は、エース藤井(現DeNA)を擁した早大から、83年以来の勝ち点を奪った。まるで優勝したかのような喜びに包まれる東大と、屈辱に伏した早大。両者のコントラストは、当時大学3年だった記者の脳裏に、今でも焼き付いている。

 その勝ち点奪取に2完投で貢献したのは、エース遠藤良平だった。後に日本ハムに入団した遠藤は、4年間で通算8勝。勝ち点はともかくとして、東大は、他の5大学を苦しめてはいたのである。

 振り返ってみると、甲子園のスター選手が続々と入学していた法大、明大は当時から戦力が抜けていたが、当時の早大は、藤井らプロ選手こそ輩出していたものの、推薦制度は現在ほど充実しておらず、進学校からの一般受験組がレギュラーに名を連ねることも決して少なくなかった。00年に始まった特別選抜制度で、ドラフトなら上位指名確実な有力選手を、学年4人まで獲得できるようになった。

 東大に、5大学の中で過去最も多い83勝を献上してきた立大も、アスリート選抜入試なる推薦制度を設けた。甲子園ベスト8の実績を基準とした同制度の導入もあって、東大にとって、そう簡単に“勝てる相手”ではなくなってしまった。

 当然、推薦制度の恩恵を受けることのない東大だけが“取り残される”形で、その戦力差は、近年、顕著なものとなっている。戦力集めとして、神宮でのプレーを目指す全国の受験生を赤門へ導こうと、野球部が勉強を指導するなどの試みがとられている。谷沢健一氏や桑田真澄氏といった元プロの指導も仰ぐなど工夫は重ねてはいるが、なかなか結果につながってこない。

 日本野球の歴史を紐解けば、東大の前身のひとつである旧制第一高等学校(通称・一高)は、早慶よりも古くから野球部を創設しており、両校が打倒・一高に燃えた時代があった。日本野球を語る上で、東大とは、なくてはならない存在。1925年秋に、6校目の大学として東大(当時帝大)が加盟し東京六大学野球リーグが発足したが、今、5強1弱と揶揄する声もある中で、東京六大学における東大の存在意義は、深いものがある。

 厳しい“冬の時代”を迎えているが、甲子園で名をはせたスター選手と同じ舞台で、日本最難関の受験を勝ち抜いてきた男たちが一矢報いる、それが東京六大学の醍醐味のひとつでもある。最後の勝利は、2010年秋の早大1回戦で斎藤佑樹(現日本ハム)を攻略して奪った。リーグワースト記録に王手をかけて臨む一戦は、くしくも早大戦。何かが起こるかも知れない。

(デイリースポーツ・福岡香奈)

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