ホーム芸能いまこの人

 文字サイズ

母校監督に就任 元ヤクルト山本樹監督

2013年3月25日

 「メンタルか技術かというと、個人で違う。三菱重工神戸を経てヤクルトに入った古野(正人)という投手がいるんですが、彼は僕がコーチを始めた年の4年生。それまで3年間、リーグ戦で1勝もできなかったんです。でも4年の春と秋のリーグで合計9勝しました。初めて彼を見た時、なぜ3年間1勝もできなかったんだろうと思った。技術は大学で十分通用するレベル。じゃあメンタルが課題だなと。練習でできることが試合でできない。それが明らかなポイントでした」

 ‐それでメンタルを鍛えることにしたんですね。でもどうやって。

 「オープン戦で、監督(椹木寛氏=当時)に『古野を1分、1秒でも長くマウンドにいさせてください』とお願いした。いくら練習しても、マウンド度胸はマウンドでしかつくれない。『5点取られても10点取られても構わない。責めないから、好きに投げろ』と投げさせた。そしたら徐々に自信がつき、試合ごとにブルペンの投球に近づいていった。マウンドで自分をコントロールできるようになれました」

 ‐たとえオープン戦でも、どれだけ打たれても我慢するのは難しいですよね。ほかの投手を使いたい事情もありますし。

 「選手が成長するまでどれだけ我慢できるかが指導のカギです。こちらがあきらめれば成長はない。小さくてもいいから前へ進んでいる以上、それが成長です。自分もそれをヤクルト時代に野村(克也)元監督にしてもらったので」

 ‐山本監督自身もプロでの現役時代、結果が出せず苦労した時代があったとか。

 「丸3年ですね。俗にエレベーター選手と表現されるんだけど、1軍と2軍を入ったり来たりする選手。情けなくてつらくて。自分で自分をばかにして、追いつめたこともあった。だけど今はあの3年間に感謝しています。指導者としての財産を提供された」

 ◆山本監督は野村ヤクルトの時代、セットアッパーとして01年日本シリーズに登板。第5戦で勝利投手になり、日本一に貢献した。しかし決してエリート街道を歩んだわけではない。入団後の数年間は「辞めたい」と思うほど伸び悩む時期が続いた。

 ‐つらかった思い出を聞かせて下さい。

 「当時、春季キャンプは米国アリゾナ州のユマでしたから、飛行機でキャンプ地へ行くんです。1年目は『頑張るぞ』と意気込んで旅立った。しかし2年目は機内で『嫌だな…また去年みたいな成績では困るな。でも今年は頑張るぞ』と。3年目は『1、2年目は頑張ったけど全然ダメだったな』と気が重かった。ついには『飛行機が墜落したら、苦しむ必要がないのに』とまで考えていた。途中、飛行機がエアポケットに入ってドーンと落下した時、恐怖におびえる人の中で、自分だけニヤリと笑っていたんです。われに返り、怖くなりました。うつになるほど悩んでいたんです」

 ‐結果が出ない時期から脱出できたのは。

 「同じ結果を繰り返して4年目に入った時、今までやっていたことと真逆のことをしてみたんです。それまで3年間は頑張ろうと思ってやっていたのに、結果は頑張れていなかった。じゃあ、どれだけ打たれても構わない。ずっと2軍でいい。いつ辞めてもいいや、と。すると結果は1年間、1軍定着ですよ。これは、自分が耐えられないプレッシャーを自分に与えてはいけないということだったんです」

 ‐今までの価値観を捨て、全く逆をするというのは簡単ではないと思いますが。発想の転換をするには、どういう転機があったのですか。

 「キャンプのミーティングで、野村監督に1軍全員の前で『山本、お前は3年間、同じことを繰り返している。ばかだ。もう辞めろ』と言われたんです。『お前、こんなピッチングして、よう家に帰って子供の顔が拝めるなあ』とか。僕は『こんな恥ずかしい思いをするくらいならもうええわ。辞めたるわ』と思った。今思えば、それが野村さんの人を動かす作戦というか、押してダメなら引いてみろという方法だったんだと思います。僕が気持ちの弱い選手だと分かっていたんでしょう。だから『適当でいいや』と考えさせようとしたんだと思います」

 ‐その“変身”があったからこそ、01年は日本シリーズで登板し、日本一に貢献という栄光を手にした。そんな話も、大学の部員にしますか。

 「日本シリーズでは大舞台、大観衆の前で平気で投げることができた。それは自分が人よりたくさん失敗を積んだからだと思います。失敗に対する免疫が落ちただけ。失敗する自分を想像しても怖くない。3年間の失敗が、僕を日本シリーズのマウンドに上げてくれたということです」

 ‐苦しみ、もがいた結果、つかんだものは大きかった。

 「だから龍谷大の部員にも、失敗の数が多いほど一流に近づくと話しています。失敗を恐れるなと。モーションを起こさなければボールは投げられない。昨日もミーティングで、そう話したんですよ」

 ‐龍谷大野球部監督として、関西六大学リーグに挑む1年目の抱負を。

 「新聞的には、全国大会に出て優勝と言った方がいいんでしょうが、僕の中でリーグ戦の結果は目標ではありません。あるのは単純な目標だけ。それは今日できることを今日、一生懸命やること。あの時こうしておけば良かった、というのをなくすだけです」

 ‐グラウンドを見ると、4年生が打撃投手を務めたり、協力し合って楽しそうに練習を進めたりする姿が印象的です。

 「開幕を控えた今、何をすればいいかということです。時間ができれば1球、1打でも多く練習する方がいい。そのためには1年生も4年生もみんなで練習し、みんなで裏方作業をすればいい。4年生が1年生のために打撃投手をしたり球拾いをしたり。そうすれば少ない時間で密度を上げることができる」

 ‐1日1日の練習をこなすことが大切ということですね。

 「目に見えないチリを集めて山にする。今日よく頑張ったね、満足だね、ということが、僕にとっては全国制覇につながるんです」

 山本 樹(やまもと・たつき)1970年8月31日生まれ、42歳。岡山県倉敷市出身。玉野光南から龍谷大を経てドラフト4位で93年にヤクルト入団。主に左の中継ぎ投手として活躍し、97、01年の日本一に貢献した。05年に引退。13年間の現役生活で通算成績は27勝37敗10セーブ。08年から龍谷大コーチを務めていた。

前ページ123



芸能ニュース

  • オリエンタルラジオ中田敦彦

    オリラジ中田、恋ダンス・新垣との紅白対面を熱望

     オリエンタルラジオの中田敦彦が9日、TBS系「白熱ライブ ビビット」で、紅白歌合戦について言及。上半期、話題を席巻した「PERFECT HUMAN」に加え、ピコ太郎の「PPAP」、更に最近は新垣結衣と星野源の「恋ダンス」が加わったことに「ピコ太郎をさしおいて、ぼくとガッキーが紅白で会うのが最高です」と、紅白出場へ意欲を見せた。

  • タレントの野沢直子

    米在住の野沢直子、トランプ大統領誕生なら「ブラジルに引っ越す!」

     米国・サンフランシスコ在住のタレント・野沢直子(53)が9日、TBS系「白熱ライブ ビビット!」に電話で生出演。米大統領選について「トランプが(大統領に)なったらブラジルに引っ越します!」「トランプがなったら(日本では)テリーさんが(首相に)なるのと一緒ですよ!」と、トランプを徹底批判した。

  • NHK・有働由美子アナウンサー

    井ノ原のブラジャー特集も「安心して見ていられる」ネットもほっこり

     V6の井ノ原快彦が9日、NHK「あさイチ」で、「おとなブラジャー」特集に登場するも、ネットでは「いやらしくない」「何の違和感もない」「安心して見ていられる」などの声が上がった。

  • 芸能ニュース一覧へ