マツダのにぎわい維持へ「人が集まる9カ条」

 今春、旧広島市民球場跡地に、公園と商業施設が一体となった「ゲートパーク」がオープンしたとの新聞記事が目についた。イベントなどもできるこの憩いの場は、にぎわいを生む新たな拠点として、設けられたという。

 こんなニュースを目にすると、即座にひらめくのは、旧広島市民球場と新市民球場のマツダスタジアムの新設時。ともに同じような期待を担って建設された球場だったからである。

 特に米国の「ボールパーク」を模倣した新球場がにぎわっているのは、見ての通り。その形態は他球団の球場の改築や新設にも波及し、今や大半が観客動員数の増加に結びついている。

 こうしたにぎわいを生み出すには、法則があるというのを以前、大阪のソバ屋で見た貼り紙で知った。それによると-。

 ・人は人が集まる処へ集まる

 ・人は快適な処に集まる

 ・人は噂(うわさ)になっている処に集まる

 ・人は夢の見られる処に集まる

 ・人は良いモノがある処に集まる

 ・人は満足が得られる処に集まる

 ・人は自分のためになる処へ集まる

 ・人は感動を求めて集まる

 ・人は心を求めて集まる

 これは大阪の築港高野山釈迦院に伝わる「人が集まる9カ条」というが、まさに今のマツダスタジアムのために、用意された指南書のようでもある。

 そのにぎわいの推移をたどると、開場した2009年、全国初の「ボールパーク」という物珍しさによって、人が人を呼び、1979年に記録した従来の最多観客動員数、145万人を大幅に上回る187万人が来場した。

 ここでの快適さが全国的に噂になったのだろう。14年には関東圏から広まった「カープ女子」が流行語大賞に入選するほど押し寄せ、新記録の190万人を動員。さらに15年には黒田博樹、新井貴浩のカムバックで優勝を夢見た人が群れ、初の200万人台を突破する211万人を記録した。

 さらに16年からは3連覇。この快進撃に人は感動を求めて集まり、215万人、217万人、223万人と毎年、動員記録を更新し続けた。これは人口が120万人の広島市の都市規模からすれば、目を見張るほどの数ではなかろうか。

 この新球場建設に際しては、松田元オーナーの執念があった。04年、広島市や広島経済界などで設置された「新球場建設促進会議」では、旧市民球場跡地にドーム型球場を建設する意見に傾いていたが、松田オーナーは断固、反対。結局、広島市が買い取っていた現在地に、オープン型球場を建てることが決まったのだった。

 球場建設に関しては、球団の準備があった。80年代から米国の球場視察を重ね、送り込んだ職員は00年から約5年間だけでも、延べ100人以上。その研究成果が3世代が楽しめる「ボールパーク」になったのである。

 そして建設に向けては、市民やファンの熱意があった。その声が高まったのは、球界再編問題に揺れた04年。資金力の乏しいカープが消滅するかもしれないという事態に、「新球場は球団の経営基盤強化に欠かせない器」として、署名運動やたる募金を行い、建設に一役買ったのだった。

 こうした変遷を経たマツダスタジアムは今年、15年目を迎えた。20、21年はコロナ禍の影響で観客の足は制限されたが、昨年から活気を取り戻し、今年は新井新監督の登場と声出し応援の解禁によって、さらににぎわっている。

 ここに集まった人たちが今、渇望しているのは、4年連続Bクラスからの脱却か。それを目指す新井監督の斬新な采配に対する期待は大きい。(元中国新聞記者)

 ◇永山 貞義(ながやま・さだよし)1949年2月、広島県海田町生まれ。広島商-法大と進んだ後、72年、中国新聞社に入社。カープには初優勝した75年夏から30年以上関わり、コラムの「球炎」は通算19年担当。運動部長を経て編集委員。現在は契約社員の囲碁担当で地元大会の観戦記などを書いている。広島商時代の66年、夏の甲子園大会に3番打者として出場。優勝候補に挙げられたが、1回戦で桐生(群馬)に敗れた。カープ監督を務めた故・三村敏之氏は同期。阪神で活躍した山本和行氏は一つ下でエースだった。

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