【永山貞義よもやま話】カープ新井監督から感じる『教師の五者』

 元中国新聞記者でカープ取材に30年以上携わった永山貞義氏(73)がデイリースポーツで執筆するコラム「野球爺のよもやま話」。広島商、法大でプレーした自身の経験や豊富な取材歴からカープや高校野球などをテーマに健筆を振るう。

  ◇  ◇

 昨秋の夕方、ローカルのテレビニュースで、カープの新井貴浩監督が広島市内の小学校に出向き、授業で児童に夢の大切さを語る番組を目にした。そしていろんな質問に対して笑みをたたえ、明快に答えるその光景を見ていて、「この人は教師になっていても、メシが食えたな」と思ったものだった。

 そこで頭にふと浮かんだのが「教師は五者たれ」との言葉である。五者とは「学者」「役者」「易者」「芸者」「医者」。真の教師たる者、この五者の役割が求められるという。

 「学者」は文字通り、豊富な知識を有すること。「役者」は子供の前では、時に演技を見せて楽しい授業を展開できる能力。「易者」は子供の能力を見抜いて、的確な指針を示すことができる者。「芸者」は学ぶことが楽しくなるような環境をつくる能力。「医者」は子供の問題点を見つけ、処方箋が作成できる者である。

 こうして列挙すると、この「五者」の能力を有しているように見える新井監督は、新井先生と言い換えてもいいような気がする。それは、がむしゃらな人生の中で学び、培われてきた素養なのだろう。

 その20年間の現役生活を振り返ると、入団時から本塁打王を獲得するまでの6年間は、とにかく練習をやらされた人生だったと、自著の「撓まず 屈せず」(扶桑社)に記している。その猛烈さは不器用者だったからこそ、大下剛史さんをはじめとする首脳陣の各氏が施した処方箋。そこから新井先生は、「医者」としてのやり方を身につけているはずだ。

 「役者」「芸者」としての下地は、「(若いころ)自分が楽しむよりも、先輩に楽しんでもらわないといけないと常に考え、ピエロのような役回りに徹してきた」との一文からうかがえる。阪神からカープに復帰後は、菊池涼介や丸佳浩ら後輩にもイジられていたというから、この道では相当な猛者には違いない。

 「易者」は「若手と食事に行った際、自分が気付いたことを伝えたこともあった」という回顧から素養が垣間見えるし、「学者」の面は、これほど現役を長くやっていれば当然、博識になっているはず。これらの五者は教師だけでなく、組織のリーダーにも必要な資質だろう。

 こんな新井先生が監督に抜てきされた際、山本浩二さんの就任時を連想した。それは、ともにコーチなどの指導歴がなく、いきなりトップに登用されたのが同じなら、ファンの圧倒的な待望論によって、登場したのも同じと共通点があったからである。

 さらには球団からの要望。松田元オーナーは新井監督の就任を発表した際、1年目から優勝を期待するとともに、「若返りという命題もある」と言ったが、山本監督の第一次政権の時もそうだった。

 勝利と育成という二律背反的な果実を求められるのは、それが長期を見据えたプランであるにせよ、球団にとってリーダーとしての切り札的な人材だったからだろう。この難題に対して、山本監督は野村謙二郎、江藤智、前田智徳といった若手を見いだして育て、3年目の1991年に6度目のリーグ優勝に結びつけている。

 当時は自らと衣笠祥雄の相次ぐ引退で打線が弱く、投手王国にも陰りが見え始めていた時代。その時と比べれば、現状は投打にわたって、ベテランと若手とも力のある手駒が多いように見える。

 これらをどのように使って、生かすか。新春を迎えた中、チームと言うより、「家族」と置き換えた方がふさわしい新井家の家長のタクトに期待である。

 ◆永山 貞義(ながやま・さだよし)1949年2月、広島県海田町生まれ。広島商-法大と進んだ後、72年、中国新聞社に入社。カープには初優勝した75年夏から30年以上関わり、コラムの「球炎」は通算19年担当。運動部長を経て編集委員。現在は契約社員の囲碁担当で地元大会の観戦記などを書いている。広島商時代の66年、夏の甲子園大会に3番打者として出場。優勝候補に挙げられたが、1回戦で桐生(群馬)に敗れた。カープ監督を務めた故・三村敏之氏は同期。阪神で活躍した山本和行氏は一つ下でエースだった。

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