広島・新井新監督 「ワシの宝物じゃけぇ」と話すファンに愛されるチームに、必ずなる
広島の新監督に新井貴浩氏(45)=デイリースポーツ評論家=が就任した。広島を愛し、広島に愛された新井氏の新たな船出。これまで同氏に関わってきた球界OBやデイリースポーツ記者らがその人となりを語り、熱いエールを送る。今回は元カープ担当・田中政行記者の“エール”。
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広島の大野寮とオーナー室には、球団方針を記す額縁がある。
わらわれて
しかられて
たたかれて-。
「新井貴浩」のフレーズを耳にする度に、鈴木清明球団本部長が寮の額を見上げながらつぶやいていた。「あいつはこの言葉そのものだな」。担当記者として、密に接したのは2015、16年。「どの面下げて」と言われながらカープに戻り、涙で宙を舞った2年間だった。
紹介できるエピソードの中に、世間との認識に少し差があった“事件”がある。07年11月8日。FA権行使の手続きを行い、広島市内のホテルで会見を開いた。「つらいです。カープが大好きなので」。あふれる涙をこらえきれなかった。大好きなのになぜ…。
「見ている人からすれば、泣くなら残ればいいじゃろと思ったはず。絶対に矛盾があった。でも、もう戻れないんだと思ったら涙が止まらなかったんよ」
ただカープ愛以上に師と、兄と慕う金本知憲氏の存在が大きかった。「カネさんともう一度、野球がやりたい」。それが最大の決め手だったが、会見で「金本」の名前は出さないと心に決めていた。
「正直に言えばよかったのかもしれない。カネさんと野球がやりたい、って。でも、あの時は言えば迷惑が掛かると思った。だから優勝したいとか、本心じゃないことを言ってしまった」。広島では優勝を目指せないのか-。この言葉が、ファンの怒りを増幅させた。2008年4月1日の広島戦(広島)。移籍して初の対戦は、大ブーイングで始まった。大人から子供まで。新井のユニホームに「×」印を付ける人までいた。
「本当にショックだった。でも、俺が一番、ファンの人の気持ちが分かる。小さいころから大のカープファンだったから。もし自分なら、一番前でヤジったと思うよ。おい、ふざけるなって」
それでもあの日から7年が経ち、広島に戻ってチームを3連覇に導いた。忘れられない打席は?と問えば、いまでも「15年3月27日のヤクルト戦」と言う。復帰後初打席。代打で登場した男に、スタンドは温かかった。「もう涙が出そうになった。震えるほど感動した」。あの日、生涯を懸けてカープに恩返しをすると決めた。
新監督がどんなチームを作るのか。理想とするのは、球場最前列の金網にへばりつき、声をからした幼少期の常勝カープ。そして復帰後、連日超満員のスタンドに守られながら、3連覇した赤ヘル野球の復活。「ワシの宝物じゃけぇ」と話すファンに愛されるチームとなることは、断言できる。(デイリースポーツ・2015、16年広島担当・田中政行)



