新井貴浩氏が「名将」となることを確信、しておきたい ルーキー時代知るカープ担当
広島の新監督として新井貴浩氏(45)=デイリースポーツ評論家=の就任会見が12日、行われた。広島を愛し、広島に愛された新井氏の、新たな船出。これまで同氏に関わってきた球界OBやデイリースポーツ記者らがその人となりを語り、熱いエールを送る。今回は元カープ担当・岩田記者の“エール”。
◇ ◇
1999年6月8日、大阪ドーム。ドラフト6位ルーキーの2号ソロが右翼席に飛び込むのを見て、浅はかな広島版紙面用企画を思いついた。題して「新井貴浩は化けるか!?」。早速、翌日からコーチや関係者の話を集めにかかったのだが…。
「そんな甘いもんじゃないよ」「たまたまよ」などは、まだましな反応だった。どう転んでも大成しないと確信している人がほとんど。とても「化けるか!?」などといった見出しが立ちそうにない。企画はボツとなった。
プロ1年目、本人への取材を何度も失敗した。その年は大下ヘッドコーチ指導のもと、猛練習の日々。その合間に話しかけようとすると、すぐに大下ヘッドの怒声が飛び、グラウンドへ戻された。
グラウンド上でもベンチ内でも、練習中はいつもゼエゼエと息を切らしていた。それでも話しかけると顔を上げて、一生懸命に話そうとしてくれた。その瞬間に怒声を浴びるという繰り返し。笑顔を見た覚えがない。
プロ入り以来、首脳陣に怒鳴られ、ファンにヤジられ、チームメートにイジられながら、最後は名球会選手にまで上り詰めた。並外れた体力と精神力で苦難を乗り越え、結局はファンにも仲間にも愛された選手だった。
現役引退後、デイリースポーツと評論家契約をする際に社内で顔を合わせた。「岩田さん、お久しぶりです」と言われて驚いた。担当として関わったのは20年前の1年足らず。何度も接触に失敗した若造記者の名前を本当に覚えていたのか、事前に確認していたのか。いずれにしても律義な性格はずっと変わっていない。「覚えてますよ」と言って浮かべた笑顔に、いつも不安げだったころの面影はもうなかった。
本塁打王、打点王、MVP、名球会入り、監督就任。新井貴浩は劇的に化けた。そして新たな伝説の予感。いつか「名将」と言われる日が来ることを今度は確信…しておきたい。(97~99年広島担当・岩田卓士)





