山本浩二氏 古葉氏に深く感謝 監督になっても見習った「伝統の機動力野球は古葉野球」

 リーグ優勝祝賀会で山本浩二(右)、衣笠祥雄(左)と抱き合って喜ぶ古葉監督=75年10月15日
 16年の広島OB会で乾杯する(左から)山本浩二氏、古葉さん、安仁屋宗八OB会長
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 広島・古葉政権下の4番を託され、1975年の球団創設初優勝、そして79年の日本一へとけん引した山本浩二氏(75)が16日、古葉竹識氏の訃報に際し、所属先の広島テレビを通じてコメントを発表した。「監督としては妥協がなく大変厳しい方でした」と在りし日を思い起こしたミスター赤ヘル。デイリースポーツにメッセージを寄せ、故人をしのんだ。

 目をつむれば浮かんでくる厳しかった日々-。入団時から日々、限界まで追い込まれた。何度も何度も厳しく怒鳴られた。晩年の優しい表情とは違い、鬼の形相で徹底的に鍛え上げられた山本氏。ミスター赤ヘルの礎を作った恩師の訃報に「とても寂しい気持ちです」と言葉をつむいだ。

 「古葉さんは優しそうなイメージがありますが、監督として妥協がなく大変、厳しい方でした。当時はつらいことが多かったですが、その厳しさがあったからこそ、自分は成長できたんだなと感じています」

 古葉監督が就任した1975年、6月下旬から4番を託された。同年は自身初のタイトルとなる首位打者を獲得し、球団創設初のリーグ優勝に大きく貢献。シーズンMVPにも輝いた。

 翌76年から5年連続40本塁打をマークし、79年には球団初の日本一へとけん引。「若い選手も怒られっぱなしでしたが、その分みんな成長しましたね」。どんなに怒られても、どんなに突き放されても、ナインが古葉氏を信じてついていった先に、第一次黄金期が待っていたという。

 さらに自身が指導者になってからも「古葉さんの機動力野球を見習いました。広島伝統の機動力野球は古葉野球。それがカープのチームカラーになってますし、それほど貢献された方」と明かす。直近で16年からのリーグ3連覇時も他球団を圧倒した機動力野球。古葉氏が作った“カープの原点”は、今も後輩たちの手によって脈々と受け継がれている。

 「語り尽くせないですが、大変お世話になりました。本当にありがとうございました」と最後に感謝の思いを捧げた山本氏。ミスター赤ヘルの伝説、そして強いカープの歴史は、厳しく愛情を持って指導してくれた古葉氏を抜きには語れない。

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