坪井智哉を歓迎する理由
【10月27日】
坪井智哉は覚えているだろうか。6年前の春、僕が宜野湾まで会いに行ったことを。あのとき彼は察しがついたように「あれ?どうしたんですか?」と、柔和な面持ちで迎えてくれた。
A・ラミレス政権のDeNAで打撃コーチを担っていた時代である。
20年の2月11日、知将・野村克也が天国へ旅立った。当時、宜野座村で矢野阪神のキャンプを取材していた僕が即座に思い浮かべたのは、もちろん、野村克則、そして、もうひとり…
宜野座からDeNAのキャンプ地、宜野湾へ向かった。
「野村監督?いえ、その取材はまだ誰からも受けていませんね…」
あの頃のDeNAは、ウオーミングアップ前ならメディアのグラウンド内での取材が許可されていた。朝から外野の芝でベンチから出てくる坪井を待ち構え、阪神時代に師事した恩師の訃報について話を聴かせてもらった。練習前のわずかな時間だったけど、坪井はしっかり答えてくれた。
その男が指導者として阪神へ帰ってくる…。そんな情報を最初に聞いたとき、テンションが爆あがりした。
前回の続きを書けば、坪井が藤川阪神に加わることで政権内の雰囲気は変わる。坪井は誠実にモノを言える人だから、きっと…。相手が誰だろうと、率直に感じたことをまっすぐに伝えられる人…昔からそんな印象がある。
阪神時代の坪井を知る記者も少なくなった。当時を知る者として書けば、ぶっちゃけ若いころの彼は「メディア泣かせ」だった。報道陣の前で笑って語る姿なんてほぼ記憶にない。あの時代でいえば、カープの前田智徳や阪神の坪井にはいつも「話し掛けるな」オーラが出ていた。が、僕が昔からそういう職人肌に魅力を感じてきたのは、そんな選手ほど「まっすぐ」だから。
この4年間ほど、阪神コーチ陣のメディアに対する閉塞感を感じてきた。事実として、とりわけ試合後は口を塞ぐコーチが多くなった。しゃべりにくいのかな…そんなふうにも映った。こう感じているのは俺だけ?そう思って周囲にも聞いてみたが、球団内部を取材しても、同業者に聞いても、その空気感は間違っていなかった。これは僕が勝手に思うことだけど、藤川球児はしかし、そんな空気を望んでいない。
坪井は自分の感じたことをまっすぐ伝えられる人。なぜ、そう書くのか。
ノムさんが亡くなった6年前、宜野湾で坪井から聞いた逸話がある。
「当時、甲子園球場の監督室に一度だけ呼ばれたことがあるんですよ」
いつ?
「野村監督が阪神に来られて最初のシーズンです」
坪井はプロ2年目だった99年を懐かしみながら、ノムさんとの生々しいやりとりを教えてくれた。
野村「お前のような足の上げ方で打つと、どうしても、確率が悪くなるんや。すり足で打ったらどうや」
坪井「すみません…。今はできません。またオフに試行錯誤したいと思いますけど、今はできません…」
続きは次回。=敬称略=
