雨の横浜で雨の淡路を思い出す
【8月22日】
仁くん、おめでとう。あの日を思えば、人生どうなるか分からないものです。甲子園のお立ち台で万雷の喝采を浴びる47歳の名将を眺めながら、18年前の光景を思い出しました。
あのときはこんな日がくるなんて想像もできなかった。智辯対決を制した5年前も、そして、この夏も…。
仁くんは覚えていないかもしれないけれど、こちらは、スタンドに誰もいない雨の球場が忘れられません。
あれは08年、1月の雨が降りしきる淡路島の運動公園でした。取材者は僕ひとり。阪神の藤田太陽投手と連絡を取り合い、独自取材で伺うと、あなた、中谷仁捕手は丁寧に取材に応じてくれました。大変失礼ながら、あなたの取材ではなく太陽の…それでも、たくさん話を聞かせてくれました。
藤田太陽と中谷仁がともにドラフト1位で阪神に入ったことをオールドファンはよく知っている。00年ドラフトで逆指名入団した太陽と、97年入団の中谷は同級生。あなたが夏の甲子園優勝捕手として、井川慶や坪井智哉よりも高い評価で伝統球団に入ったこと、また、そのドラフト取材に伺った日のことももちろん忘れられません。
が、08年はもう阪神の選手ではなかった。05年限りで移籍したあなたは当時楽天の捕手でしたが、太陽と2人、自主トレ先の淡路島で懸命に汗を流し、どちらかといえば同級生の復活に力を貸していたような感があった。
やまない雨の中、ブルペンではなく球場のマウンドから投げる太陽の球を、びしょ濡れになりながらひたすら受ける中谷仁は言いました。
「野球人生をかけた年だから…。何とか力になってやりたい」
あの年、一大決心でスリークオーターへ変貌を遂げた太陽に寄り添う姿は、いま考えれば指導者の素養が…
なんて思っていたら、この日、阪神指揮官の藤川球児が雨の横浜でこんなエピソードを話していた。
「僕が独立リーグへ行って、練習する時に中谷さんと2人で大阪ガスのグラウンド借りてね…。大阪ガスで2人でピッチング練習をして…。そのとき中谷さんはまだ指導者の勉強をしていたのかな…。人生どこにいようと繋がりがあれば、人との縁を大切にしていると、中谷さんも日本一になるしね」
高知に入団した15年に球児が大阪ガスで中谷と…まったく知らなかった。そういえば、中谷は球児のひとつ上。その昔、ともに高卒のドラ1ながら芽が出ず、鳴尾浜でもがいていた風景も今となっては懐かしく思う。
あれから30年近く…。センパイが一足先に甲子園で日本一を獲った。お立ち台にあがった智辯和歌山の指揮官は「チームの強さを一番どこに感じているか」と問われ、こう答えた。
「智辯ファミリーみんなで勝ち取った優勝じゃないかなと思っています」
寄り添い、心通わせる、中谷仁らしい言葉。彼が将だから智辯は一つになれた。結束は強いのだ。
虎は「ファミリー」になれるか。最終コーナーへ向かう藤川阪神の道しるべをもらった気がする。=敬称略=
