「魑魅魍魎」の思い出
【5月26日】
「カジ」。親しみを込めて昔からそう呼ばせてもらっている。千葉ロッテ広報室長・梶原紀章である。ご存じの読者もいると思うけれど、梶原は04年までサンスポの虎番…同業の新聞記者だった。
記者が球団広報になる。実は、この手の転職は他球団でもあること。ただ、梶原の場合は驚いた。当時、多くの阪神選手から信頼され、ライバル社としては独自ネタを「カジにやれらた…」なんてこともあった。しっかり自身の地位を固めていた男だっただけに、本人から転職の挨拶を受けたときは「なんで?」が先に立った。
「ロッテから誘われたのは、04年11月11日なんですけど、実は、その前日に(長男=現在高校生)妊娠が分かったんです。11月11日の誘いだったので、お腹の子供が『いい(良い)、いい(良い)』って後押ししてくれているんじゃないかってね。そんなウソのようなホントの話もあって…」
無事長男が誕生した05年…ロッテ広報一年生のシーズンに阪神と日本シリーズを戦う。ドラマのような人生を送る男だ。
「あの日本シリーズを知っている現役選手は両軍で鳥谷一人ですよね。ちなみに、05年、ウチが阪神に勝って日本一になった翌日、唯一『おめでとうございます』と連絡をくれたのが鳥谷でした。どんな経緯で連絡をくれたのか、はっきり覚えてないですけど…」
あれから16年、前夜はヒーロー鳥谷敬の傍らでメディア対応し、この日も試合前から2人で何やら話し込んでいた。そんな光景もなんだか不思議な感じがする。
03年の阪神優勝を取材した梶原に聞いてみた。あの頃と比べて阪神のチームカラーは変わったように感じるのか。
「めちゃくちゃ感じますよ。今はスマートですよね」
じゃ、03年の阪神は?
「ガツガツしてましたよ。星野監督でしたし。あ…それと、今は記者もスマートになりましたね。あの頃の記者は魑魅魍魎(ちみもうりょう)というか…」
ところで、鳥谷敬は今の阪神をどう見ているのか。かつての職場甲子園のショートを守る中野拓夢そして、ショート争いのライバル小幡竜平。この二遊間をどんなふうに見つめたのか。取材規制があるので、そのあたり、またカジから聞いておいてもらえたら…。
魑魅魍魎…ではないけれど、中野も小幡もガツガツ感はあると思う。この夜、値千金の追加点はこの2人でもぎとったもの。五回の小幡のタッチアップ…フォークを決め球にする投手・岩下大輝にとって、あの三進は効いたはずだ。中野が打ったのは、やや上ずったフォーク。小幡の好走がワンバンの許されない局面を作り、中野が仕留めた。顔立ちはスマート、プレーは泥臭く…鳥谷のスタイルを受け継いでいるような若虎だ。
ちなみに、初戦の激アツな雄叫びについて聞けば、鳥谷は梶原にクールに言ったそうだ。
「ああいう場面で点が入ったら声が出るの普通じゃないですか」=敬称略=
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