サトテル・アーキーに託す夢

 【5月11日】

 ハル・ブリーデン死去のニュースを知ったのは昼前だった。外電で訃報が流れるとすぐ、タレント松村邦洋からLINEがあった。

唐突に写真のみ…文字がなかったぶん、悲しみが伝わってきた。

 「ブリーデンとはテレビ番組で何度かご一緒したことがあって…これはそのときの写真です」 

 R・バース以前の「神様」といえば、ブリーデン。松村は「僕が初めて惚れた助っ人でした。とにかく、すごいホームランを打つのが魅力で…」と懐かしむ。

 来日初年度にいきなり40発を放ったが、松村にとって鮮烈な記憶は2年目。王貞治が756号本塁打の世界記録を達成した1977年のB砲だという。

 「ハル・ブリーデンという名前のとおりで、あの年、春先に打ちまくったんですよね。5月、6月に量産して、ホームラン王争いで確か、王さんを引き離していたんじゃないかな。王さんより打つんじゃないかって期待したんですけど、結局ブリーデンは37発。王さんは夏場からどんどん打って50発…やっぱり、王さんって、すげぇなあってなったんですけどね」

 生粋の猛虎党、松村の小学生時代の記憶である。

 「打率は規定打席到達者で一番下だったような覚えがあります」

 当時の記録を確かめれば、打率・236ながら、37本塁打、90打点。そして併殺は「20」。僕の記憶の中にブリーデンの姿は残念ながら薄いけれど、この数字だけ見れば、何となく、どんな選手だったか想像はつく。

 「ブリーデンのような魅力がありますよね」

 この日、松村がそう言ったのはJ・サンズでも、J・マルテでもロハスJr.でもない。

 「サトテル・アーキーという新助っ人が、ブリーデンのように暴れまくってほしいですよ」 

 3点を追う4回無死一塁、佐藤輝明が振り抜き、舞い上がった打球はぐんぐん伸びて右翼フェンスを直撃した。「11号」とはならなかったけれど、貴重な追撃打となったわけだ。

 輝はこの夜、3打数1安打2三振。リーグ最多の三振数はこれで「50」になった。

 「将来、10億円プレーヤーになってもいいと思うんですよね。それくらい、やるようなね。もっともっと上をいってほしいですよ。三振は多いけど、それでいいじゃないですか。金本さんのように鍛えまくっているんでしょ。詰まってもポテン安打になるし、ブリーデンのように、他の人とはまったく違う打球…。日本人のブリーデンが出てきたようなものです」

 輝を最上級で称える松村は、今年の阪神をどう見ているのか。

 「大山選手がケガをして、糸井選手が出場機会を得る。佐藤選手が4番にすわる。ケガは大変だけど、ケガのタイミングがいい年は強いのでは??ケガした選手が戻ってくるまで補いあってワンチームで優勝できれば…」

 天国へ旅立った伝説の助っ人に怪物ルーキーを重ねた夜である。=敬称略=

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