「あの防御率」からの…

 【4月19日】

 「死ぬなよ」なんて呟きはなかったけれど、「泣くなよ」「頑張れ」「これから」という言葉は沢山あった。阪神、そして、プロ野球ファンから、僕のツイッターに届いた石井大智への激励である。

 きのう休載日で書けなかったこと…ドラフト8位ルーキー石井について触れたかったことを、一日遅れで書いてみようと思う。

 開幕戦もそうだったけれど、18日のヤクルト戦で肩を落とす石井を見れば、かつて取材した大投手の言葉が思い浮かぶのだ。

 「俺の場合はさ、あの防御率を下回ることは絶対にないわけよ。どんなに調子が悪いときでもそう考えたら、楽になったもんよ」

 広島カープのレジェンド大野豊である。

 デイリースポーツの広島支社に赴任した90年代後半、晩年の大野を取材した。往年のファンはよく知る逸話だけど、直接本人に聞いたことをここで書いてみたい。

 「あの防御率」とは、1977年、大野がプロ初マウンドにあがった阪神戦でのことだ。ルーキー左腕は1イニングどころか、満塁ホームランを浴びるなど、1アウトしか取れずに降板。その夜、悔しさのあまり広島市民球場から独身寮まで、こみ上げる涙を拭いながら独り歩いて帰ったという。

 「大野豊 NPB」で検索すれば、当時の記録が分かる。投球回0・1、打者8人、被安打5、被本塁打1、2四球…。初登板で残った防御率は、135・00。

 僕も大変世話になったカープのコーチ山本一義(故人)は大野に「お前、死ぬなよ」と伝えたそうだ。大野といえば出雲市信用組合軟式野球部の出身。今ではちょっと考えられない経歴だけど、努力の人はカープ2軍キャンプで入団テストを受け、ドラフト外でプロ野球の世界へ飛び込んだ。

 初年度の出場は前述した登板一度のみに終わったけれど、その後の勲章…最優秀防御率2度、最優秀救援、沢村賞、野球殿堂入り等々は、ご存じの通りである。

 昨年の秋、ドラフト支配下指名で12球団の最後、74番目に名前を呼ばれた石井は、NPB初の高専卒業選手だ。異例のキャリアという意味で…そして、初登板で1イニングもたず目を潤ませた姿を見るにつけ大投手と重ねてしまう。

 石井はここまで5試合で防御率14・54。本人は悔しさでいっぱいだろうし、どんな言葉も慰めにはならないだろうけれど、135・00を経験した大野にいわせれば、きっと「かわいいもん」。

 石井はこの日、出場選手登録を抹消された。矢野燿大は「壁とまではいわないけど、そういうところにきている」「気持ちが向かっていく選手なので…」「心配していません」と話していた。僕が当欄を書いているこの瞬間も石井は練習に励んでいると思う。

 「プロの洗礼」とやらを最も強烈にくらった大野は、引退試合で「わが野球人生に悔いなし」と語った。かつての大野がそうであったように、「14・54」なる試練の数字が石井を大きくするのだ。=敬称略=

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