10年?関係ない 

 【3月10日】

 どんな女性だろう。どんな言葉を掛ければいいのだろう。ランチ前にドキドキしていた。仙台市青葉区のレストラン「カヤ」。金本知憲とともに、いつものテーブルに座り、その人を待った。

 「こんにちは…」

 その人がやって来た。

 「こんにちは」

 金本も、僕も、その女性の目をしっかり見て話した記憶がある。

 10年前の3月11日…

 彼女は津波にのまれた。

 最大40メートルを超える憎き波に…。

 身の毛のよだつ映像に言葉を失った11年3月11日。奇跡的に生還したその方は大の阪神ファン、そして、大の金本ファンだった。

 ご本人がデイリースポーツに連絡をくださり、仙台で会うことになったのは、金本の引退後。アニキが東北福祉大時代に通った洋食店で、九死に一生を得た彼女が3・11を生々しく語ってくれた。

 「あの日は友達と車で出掛けていて…。津波に流されたんですけど、私だけ…」

 金本は真剣に聞き入っていた。

 警視庁が今月1日に発表した東日本大震災の死者は1万5900人。行方不明者は2525人に上る。昨年3月から今年2月に身元が確認された遺体は宮城2人、岩手1人の計3人。11年に発見されていたが、いずれも身元を特定できていなかったという。さらに先月、東松島市で白骨化した遺体が見つかり、身元の確認作業を進めたところ、震災で行方不明になっていた女性と判明。10年経ってようやく遺族のもとへ帰った。依然として行方不明者は、宮城1215人、岩手1111人、福島196人…。

 「僕らは10年たったねとか言うけど、実際に被災されている方からすると、そんなのは関係ない。今でも大変な人は大変だと思う」 米大リーグ、パドレスのダルビッシュ有は、未曾有の大震災から10年を前にそう語っていた。

 11年の3月半ば、東北高出身のダルビッシュは「ボールを投げてバットを振り回している場合じゃない」とプロ野球の開幕延期を訴え、古田敦也も「プロ野球は人々に元気や勇気を与えることができるけど、今はそんな段階にない。事態がある程度落ち着き、みんなで復興を目指す段階になってからでいい」と同調。仙台を「第2の故郷」という金本は「死者がどんどん増えている。東北の人はまだプロ野球を楽しめる余裕はない」と語っていたことを思い出す。

 「カヤで会った女性?もちろん覚えてるよ。あの女性、どうかしたの?」

 金本は気に掛けていた。

 久々に彼女に連絡してみたのだけど、返事がないのが少し気掛かりではある。元気でいてほしい…そんな思いでこれを書いている。

 コロナ禍の今を思う。プロ野球開幕が延期された10年前、こんな悲劇が二度とないことを願ったけれど、誰も予期しない国難が再び起こった。東北の復興は道半ば。そしてコロナの終息は…。3・11は、プロ野球のある生活に感謝する日でもある。   =敬称略=

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