阪神 常勝支える猛虎の方程式とは 創設100周年も「黄金期」で 粟井球団社長が語った理念 金本政権が転機
阪神の粟井一夫球団社長(61)が22日までにデイリースポーツのインタビューに応じた。2リーグ制以降では球団初となる連覇を目指す猛虎。藤川球児監督(45)は若手を積極起用しながら首位争いを演じ「育てながら勝つ」を実践している。一方で球団は事業で得た収益をチームの育成、強化にも還元し「稼ぎながら勝つ」という好循環を確立。常勝チームとして創設100周年に向かう球団トップが、自らの経営理念を語った。
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-連覇に挑むシーズンだが、ここまでの戦いを振り返って。
「連覇が簡単ではないことというのは、みんなが共通の認識として持っている。『その通りやな』というのが今の状況。負傷者が出たりして、十分な体制ではないにもかかわらず、みんながそれぞれの立場で役割を果たしてくれていて、今後も優勝争いをしていけるという手応えは十分にある。ドキドキしながら(試合を)見ているが、最後は安心してゴールできるのではないかと思っている」
-遠征の先々で藤川監督と対話を重ねている姿が印象的。
「藤川監督にチームを任せるという判断をした時点で、私だけではなく秦オーナーも含め、首脳陣はみんな同じ考えだ。組織として野球を勝っていく、そういう体制を目指している。チームもフロントも親会社も、3つの組織が三位一体となる。そういう野球をしようということで、藤川監督はそこを重視してやってくれている。個の力もすごく大事だが、組織では自分の役割を認識して、それを果たしていくことの積み上げも必要で(対話を重ねるのは)その行動の一つ。ビジターだと少し時間が取れるのでベンチにいたり、遠征先で同じ宿舎に泊まっているのであれば一緒に食事をしたり。そういうことでコミュニケーションを深め『有事』に備えておくのも私の役割の一つと考えている」
-今後のチームづくりについて。
「今、ある程度は強いチームがつくれていて、優勝争いをできているが、これを続けていかないといけない。もちろん、今年勝つのが一番の目標。さらに2035年の球団創設100周年に向かって、ずっと強いチームでいたいが、チームには必ず下降期がある。その期間をできるだけ短く、そしていわゆる『黄金期』を長くするためにどうすればいいのか。藤川監督には大変しんどい思いをしてもらっているが、来年以降のことも考えた起用をしてもらっている。これはなかなか難しいこと。中長期にわたってチームをつくるというのは、本来フロントが多くを背負う仕事だが、その一部を現場にもやってもらっている」
-自身は1998年から野球事業に関わってきた。
「1999年に野村(克也)さんが監督として来られてチームに外部の空気が入り、2003年に星野(仙一)さんで優勝した。当時は早く強いチームをつくって、早く勝つという考え方だった。勝つことでお客さまに来ていただいて、お金を使っていただけるということが組織の中で理解できた。その頃からお金を稼いで、それをチームに投資するというサイクルができた。その仕事の中で私が関わったのが、03年のチケットシステムの企画、稼働だった」
-当時は今のように毎試合満員ではなかった。
「5月くらいから(客席が)ガラガラというのが当たり前の時代だった。お客さまに来ていただいて、売り上げをチームに投資していった」
(続けて)
「歴史を振り返ると、昭和50年(1975年)くらいまで阪神タイガースは赤字だった。会社ができて40年間は赤字で、昭和50年くらいに何とか(収支が)トントンになった。甲子園球場は自前で持っていたけど、高校野球ベースの球場で、あまりもうけるという発想がなかった。03、05年に2回優勝して『勝てばもうかる』ということが分かった」
-ただ、年俸が高騰したことで補強もままならなかった。
「もっと稼がないと安定して補強ができないとなった時に、甲子園球場のリニューアルに向かった。やはり『箱』を変えないと稼げない。入場券だけではなく、ビールやお弁当、あるいはスポンサーやスイートルームを作ったり、お客さまに新たな価値を提供して買っていただかないと、これ以上チームが補強できないとなった」
-07年から10年にかけて行ったリニューアルで、さらに稼げるようになった。
「ある程度、補強もできるようになり、お客さまからお金をいただくような形もできたが、勝てそうで勝ち切れなかった。そこからチームをもっと強くするには、お金で選手を引っ張ってくるのではなくて育成。ドラフトで獲得した選手を育成するという、今のスタイルになるのが金本監督が来てから。『一度、チームを壊しましょう』となった。その時、私は営業担当の役員で金本監督と『稼ぎながらやろう』と言って、監督も協力してくれた」
-チームとしては難しい期間だった。
「あの時に一度、チームを壊した。そういう経緯があったので、金本監督には申し訳ないけど最下位になってしまった。けれど、あの一回だけ。金本監督がレールを敷いてくれた、ドラフトで取った生え抜き選手を育成するという路線の後はBクラスがない」
-19年から3位、2位、2位、3位、1位、2位、1位と全てAクラス。
「そう。100周年に向けて強いチームであり続けるためには、言葉で言うと『育てながら勝つ』ということ。藤川監督にもすごく難しいことをお願いしている。そしてわれわれフロントは『稼ぎながら勝つ』というのが、今は融合している状態だ」
-「育てながら勝つ」と「稼ぎながら勝つ」がうまく回っている。
「例えば象徴的だったのが、先日の雨天中止になった楽天戦だ。7日の試合が雨で流れて8日に振り替えになった。1日でチケットを売り切らないといけないという時に、8日も雨予報だったにもかかわらず全部売り切らせていただいた。ファンの皆さんには球場に見に来ていただく、グッズを買っていただく、虎テレを見ていただくとか、本当にいろんな形でチームを応援していただいている。そのいただいたお金でさらに強いチームづくりをする」
-「稼ぐ力」が安定すれば編成にも好影響がある。
「その年々でどうしても外国人やフリーエージェント(FA)で補強が必要になることがある。それを支えていただいているのがファンの皆さんなんです。近年、FA権を取得した選手がみんな残留してくれている。生え抜きのスター選手たちが阪神を選んでくれている。いろんなことを積み重ねて(阪神を)選んでいただかないといけないが、資金がないと残ってもらえないという側面もある。選手に残ってもらうことも一つのFA補強だと思っている。多くのファンの方が球場に足を運んで、チームを支持していただいているのも、生え抜きのチームがつくれているからだと思う。全てはつながってくる」
◆粟井一夫(あわい・かずお)1964年7月17日生まれ。61歳。大阪府堺市出身。金沢大経済学部卒業後、88年に阪神電鉄入社。レジャー事業部企画課長などを経て、2009年4月から13年3月まで第26代阪神甲子園球場長。同年4月から球団常務取締役など要職を歴任。17年12月に阪神電鉄執行役員。22年4月から球団副社長を務め、24年1月から阪神電鉄取締役と球団社長に就任した。
