【阪神ドラフト選手特集・能登嵩都(下)】高3夏の甲子園で奥川と投げ合い 野間口氏の指導を受けオイシックスで才能開花

 オイシックス時代の能登
 桐蔭横浜大時代の能登(家族提供)
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 10月のドラフト会議で、阪神から指名を受けた7選手(1~5位・育成1、2位)の連載をお届けする。今回はドラフト5位能登嵩都投手(24)=オイシックス=。旭川大高、桐蔭横浜大からオイシックス入団。イースタン4冠を獲得しプロ入りを果たした道のりを振り返る。

  ◇  ◇

 2019年8月7日、高校3年の夏の甲子園1回戦。旭川大高のマウンドには能登がいた。奥川(現ヤクルト)を擁する星稜に9回1失点。打線の援護はなく0-1の僅差で敗れたが、北陸の古豪を苦しめた。

 当時の監督だった端場雅治氏は「予想以上の投球でしたね。奥川が良かったので勝つチャンスがあったかというと厳しかったですが、すごいなって思いますよ」とエースの奮闘をたたえた。

 進路を決める時期となったある日。旭川大高のグラウンドに桐蔭横浜大の斉藤博久監督が視察に訪れた。「良い投手がいると聞いて見に行った。最初はピンとこなかった」と回想した。入部後は課題の制球難を露呈。同学年には、後に楽天入りする古謝がいたこともあり、リーグ戦では4年間で2試合の出場にとどまった。

 それでも斉藤氏は「真っすぐに力があった。練習をしっかりやる姿勢は備わっていた。なんとかしてやりたいという気持ちはあった」と振り返った。後に阪神から指名を受けた際は「彼から電話がかかってきて、僕はうれしくてしゃべれなくて。会話にならないくらい泣いちゃいました」と親心を明かした。

 大学では活躍できなかったが、4年時にオイシックスの野間口貴彦投手コーチの目に留まった。野間口氏がほれたのは能登のカーブだった。高校、大学時代はスライダーとチェンジアップが武器だったが、「いいカーブがあるんだからどんどん使いなさい」とスライダーの封印を命じた。

 制球難の課題も改善されないままの入団だったが、「勝負は逃げてちゃ勝てない。ケンカだから」という野間口氏からの言葉が能登を勝負へ向かわせた。「2年目から開き直って、この球で打たれたらしょうがないって思えた」と吹っ切れた。

 イースタン・リーグでは心躍る対戦もあった。「坂本選手(巨人)とか村上選手(ヤクルト)はテレビで見ていた」と興奮したが、同じプロとして憧れを捨てて向き合った。オイシックスでは投手4冠に輝き、阪神に入団した。「勝負できると思う年齢まではしがみつきたかった」と能登。順風満帆ではなかったが、諦めなければ夢はかなうことを体現した。

 ◆能登 嵩都(のと・しゅうと)2001年9月29日生まれ、24歳。184センチ、88キロ。右投げ右打ち。投手。旭川大高、桐蔭横浜大、オイシックスから25年度ドラフト5位で阪神から指名を受ける。高3夏に甲子園出場。今季イースタンでは防御率2.60、12勝、勝率.750、102奪三振で投手4冠。大きく縦に割れるカーブが武器でスタミナに自信。

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