【ドラフト選手特集・谷端将伍(下)】夏の甲子園は無念の不戦敗「もう頭がもう真っ白」苦難乗り越え日大で2季連続首位打者

 日大時代の谷端
 星稜高時代の谷端(父・時宗さん提供)
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 10月のドラフト会議で、阪神から指名を受けた7選手(1~5位・育成1、2位)の連載をお届けする。今回はドラフト2位の谷端将伍内野手(21)=日大=。21年夏の甲子園で無念の不戦敗となった星稜時代、苦難を乗り越え2季連続で首位打者を手にした日大時代を振り返る。

  ◇  ◇

 迎えた21年夏の甲子園。聖地に谷端が所属する星稜の姿はなかった。部員6人の新型コロナウイルス感染が発覚。県大会は準々決勝まで進んでいたが、不戦敗で出場辞退となった。それぞれが全てを懸けて臨んでいた夏。気持ちを切り替えることは簡単なことではなかった。

 当時部長だった山下智将監督は「あの時のことをあまり思い出したくもないくらい私自身もつらい思いをした」と率直な心境を吐露した。「それぐらい大きな出来事でした。そういったことがあって、彼の今後の頑張りにつながっているのは間違いない」と振り返った。それでも「彼は早々に次に向けて練習を再開していましたね」と切り替えているように見えたという。

 当の谷端は「もう頭が真っ白になった。どうしようもできない。あの時の悔しさというか、やるせないっていうか。分からないですけど」と回想した。山下部長からは冷静に見えた谷端だったが、ぼうぜん自失だった。

 挫折を乗り越え、谷端は日大野球部へ入部した。東都大学リーグでは1年時から頭角を現し、ベンチ入り。「1年の頃から、帰ってからもバットを振った。それで良くなったのかなと思ってます」と明かした。練習への熱量は中学時代から一貫していた。

 大学2年時は秋季リーグから存在感を発揮。レギュラーを勝ち取り、主に3番打者として出場した。「2年生の夏にちょっとずつ上がってきて、2年生の秋に一気に伸びました。それが3年の春秋につながった」と確かな手応えがあった。

 そして迎えた3年時、2季連続で首位打者を手にした。「リーグ戦のはじめの方にいけそうって感覚があった。それを維持できた」と振り返る。大学4年間は「とにかく納得できるまで振った」と野球に時間を割いた。4年時までに首位打者2回、ベストナイン3回と輝かしい成績を残した。

 山下部長は日大進学の際、「レベルが高いので4年間ついていってほしいなくらい。プロに行けるまでになるとは、高校3年の段階では思っていなかった」と話した。

 甲子園出場の夢は断たれたが、タテジマを着て甲子園に立つ夢はもう目の前。不断の努力を継続して、一流選手への道を進んでいく。

 ◆谷端 将伍(たにはた・しょうご)2004年3月17日生まれ、21歳。石川県出身。178センチ、80キロ。右投げ右打ち。内野手。星稜、日大を経て25年度ドラフト2位で阪神から指名。東明小1年から松任ブルーウイングスで野球を始め、星稜中では軟式野球部に所属。星稜では2年秋からベンチ入り。日大では1年春にデビューし、3年時は春秋連続で首位打者。好きな芸能人はダイアン・津田。

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