【ドラフト選手特集・谷端将伍(上)】ずっと野球をやっていたい 土台になった少年時代からの「野球が好き」の思い

 10月のドラフト会議で、阪神から指名を受けた7選手(1~5位・育成1、2位)の連載をお届けする。今回はドラフト2位の谷端将伍内野手(21)=日大=。野球に夢中で「プロ野球選手になりたい」と夢を語っていたと少年時代を振り返る。

  ◇  ◇

 2004年3月17日、石川県白山市で将伍は誕生した。両親と姉との4人家族。名前は両親が一文字ずつ願いを込めて付けた。将という字は人の上に立つこと、伍は人間関係が良好なことを意味するという。

 初めてボールとバットを握ったのは保育園に入った4歳の頃。金本知憲のTシャツを着用し、スイングをまねするなどバットを持つと興味を持って振っていたという。体を動かすことが大好きで活発な子どもだった。

 東明小1年時から白山市の少年野球チーム・松任ブルーウイングスに所属した。きっかけは近所の友人が野球をしており、応援に行った際に谷端が「入りたい」と意欲を示したこと。父・時宗さんが「当時から投げるのも打つことも小学校低学年の割にはできていましたね」と語るとおり、センスはあった。

 野球がない日も自宅の庭でティーバッティングや母・正美さんが投げるバドミントンの羽根を打つ練習など、両親も協力して活発に自主練習も行った。

 野球も好きだが、趣味として同じくらいサッカーも大好きだった。時宗さんは「見るのも好きだけど、やるのはとにかく好きだった」と振り返る。周りの友人も「あいつはサッカーがうまい」と話していたというくらい運動神経抜群。小学生の頃、時宗さんは一度だけ「サッカーの少年団に入りたい」と谷端から言われたという。だが、「野球に入ったんだから続けなきゃダメだよ」と優しく諭した。そしてそこから野球をここまで続けてきた。

 小学校中学年ではポジションは内野手。高学年では投手と捕手を務めた。時宗さんは当時から谷端が「プロ野球選手になりたい」と夢を語っていたと明かしたが、「本当に夢って感じで現実的なところではなかった」と振り返った。「どうしてもなりたいっていうよりは、ずっと野球をやっていたいっていう思いだったと思います」。大好きな野球に打ち込み、実力をつけていった谷端の土台には「野球が好き」という思いがあった。

 両親からたくさんの愛情を受け、まっすぐに育った少年時代。小学校を卒業し、名門の星稜中に入学。この場所でプロへの足掛かりを築くことになる。

 【谷端将伍(たにはた・しょうご)】

 ◆生まれ 2004年3月17日生まれ。石川県白山市出身

 ◆家族構成 父、母、姉

 ◆サイズ 178センチ、80キロ

 ◆血液型 B

 ◆投打・ポジション 右投げ右打ち。主に二塁、三塁を守り、外野経験もあり

 ◆球歴 東明小1年から松任ブルーウイングスで野球を始め、星稜中では軟式野球部に所属。星稜では2年秋からベンチ入り。日大では1年春にデビューし、3年時は春秋連続で首位打者。今夏の日米大学選手権で大学日本代表を経験。1部での通算成績は打率.283、6本塁打、28打点

 ◆脚 50メートル走6秒2

 ◆遠投 115メートル

 ◆座右の銘 「執念」。何事にも流されずにとにかく食らいついてという意味で、野球以外でも心がけている

 ◆好きな芸能人 ダイアン・津田。お笑いは時々見ている

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