【ドラフト選手特集・立石正広(下)】「上には上がいる」日本代表で苦悩した創価大時代 高みを目指し掴んだ3球団競合

 10月のドラフト会議で、阪神から指名を受けた7選手(1~5位・育成1、2位)の連載をお届けする。今回はドラフト1位の立石正広内野手(22)=創価大=。日本代表入りを果たし「考え方が180度変わった」という創価大時代を振り返る。

  ◇  ◇

 2020年、新型コロナウイルスの影響で夏の甲子園が中止になった。公式戦はおろか、練習試合も満足にできない状況だった。高川学園野球部の西岡部長は言う。「彼にとっては静かな時間が良かったのかもしれない」。2年だった立石は紅白戦で柵越えを連発し、メキメキと力を伸ばしたが、周囲から騒がれることはなかった。自らの実力を過信することなく、成長を続けることができた。

 そして3年の夏。甲子園切符をつかみ取ると、1回戦の小松大谷戦でバックスクリーンへ豪快な一発を放ち、一躍注目される選手になった。進路を模索した結果、早い段階から興味を示してくれた創価大へ進むことを決めた。

 大学でも練習の虫は変わらなかった。全体練習後には、自らでメニューを決め、黙々と汗を流した。2年春に覚醒。打率・500、5本塁打と結果を残し、冬には日本代表候補合宿にも参加。プロを明確に意識するようになった。ただ、3年時の日本代表では思うようにいかず「上には上がいる。意識が180度変わった」と、自身を見つめ直すきっかけとなった。

 悩んだ時に母・郁代さんが背中を押してくれた。「上には上がいる、そういう時は練習するしかない」。アスリートだった母からのメッセージが立石を奮い立たせた。「なかなか結果が出ない時、ぐっときました。練習しようという気持ちになりました」。すぐに前を向いてバットを振った。

 4年なると主将に就任。投票では横一線だったが、最後は自ら手を挙げた。創価大の佐藤康弘監督も主将・立石の進化を感じていた。「練習終わりにみんなを集めたり、言う時は言うようになった」。グラウンド上ではプレー、姿勢で頼りになる存在だった。

 仲間たちからの信頼は抜群。一方で少し抜けているところもある。風呂場でリンスを流し忘れ、手洗い場で頭を洗ったり。ロジンバッグ(滑り止め)をポケットに入れたまま洗濯し、寮の部屋を真っ白にするなど、天然エピソードも多々ある。大学首脳陣、仲間が口をそろえるのが「愛されキャラ」ということだ。

 10月23日のドラフト会議。3球団競合の末、阪神への入団が決まった。スケールの大きな未来のスター候補が甲子園で大暴れする日は、そう遠くない。

 ◆立石 正広(たていし・まさひろ)2003年11月1日生まれ、22歳。山口県出身。180センチ、87キロ。右投げ右打ち。高川学園では3年夏に甲子園出場。創価大を経て、今年度ドラフト1位で広島、日本ハムとの競合の末に阪神の指名を受けた。趣味はお笑い鑑賞。座右の銘は「恩返し」。

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