【ありがとう球児】高知商前監督・正木陽氏「火の玉」の礎 藤川の高校時代を振り返る
今季限りでの現役引退を発表した阪神・藤川球児投手(40)が、10日・巨人戦(甲子園)で最後のマウンドに上がる。4日後に迫る引退試合へ向け、藤川にゆかりのある人々が語る球児伝説を紹介する。第1回は高知商前監督で現在は同校総監督を務める、正木陽氏(59)が教え子の高校時代を振り返る。
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野球人・藤川球児の原点は高知商での3年間にある。入学当初は線が細く、球速は130キロに届かなかった。正木氏は「投げ方がきれいでしたし、何よりもボールの回転が本当に素晴らしかった」と第一印象を振り返る。
「この素材はあまり触らず、そのまま育てよう」と判断。外野からバックホームで刺す練習を多く課した。体全体を使い、捕手にワンバウンドのストライク返球を繰り返すことで「火の玉ストレート」の礎が築かれた。
二重跳びや体幹トレもよくやらせた。1年冬には1学年上の兄・順一らと近くの禅寺に週4回、朝6時から座禅を組みに行かせたりもした。ひと冬越すと球速は140キロを超えるようになった。
2年夏の97年は甲子園に出場し、順一との兄弟バッテリーで注目を集めた。しかし、2年秋は四国大会、3年夏も高知大会で敗退。球児は「監督を辞めんで続けてください。すみませんでした」と言いにきたという。伝統校は甲子園を逃すと監督問題に発展するが「そんなところがある男でした」と述懐する。
プロ入り後は「細く、長く」と言い続け、応援してきた。「細くかどうかは分かりませんが、本当に長く頑張ってきた。後輩たちの励みになる、模範となる選手になってくれた」と心から22年間の労をねぎらう。10日は藤川から甲子園に招待されている。自慢の教え子の現役最後のユニホーム姿を目に焼き付ける。