【神機一転】山崎憲晴 阪神愛で“約束”守り決断、スコアラーで第2章

 多くの選手が今季限りで阪神のユニホームを脱いだ。第2の人生のスタートに向け、次の進路が決定した者もいれば、未定の者もいる。新しい人生に挑戦する虎戦士の思いをお伝えする「神機一転」。2回目は山崎憲晴内野手(33)。野球の神様に愛された11年間を感謝の言葉とともに振り返った。

  ◇  ◇

 目を閉じれば、あの日の光景が浮かぶ。野球の神様から届いた“引退試合”。山崎は少し目を細めながら、10月5日を振り返った。

 「最後にあの場所で解説をさせてもらえた。6連勝しなければなかった。横浜開催じゃなきゃなかった。話をもらった時に、『神様がプレゼントしてくれたな』って」

 同日は横浜スタジアムでCSファーストS初戦が開催。山崎はテレビ神奈川のゲスト解説を務めた。横浜&DeNAで9年、阪神で2年の現役生活。両軍を知る男の解説は、ネットでも評判になった。退団時にもらった古巣ファンの温かい声援を思い出した。

 2008年度のドラフト3位で横浜(現DeNA)に入団。故障で出遅れた村田修一(現巨人2軍野手総合コーチ)に代わって、ルーキーながら「8番・三塁」で開幕スタメンに名を連ねた。4月3日の中日戦で、いきなり3安打の活躍。これはプロ野球史上10人目の快挙でもあった。

 「僕は最初と最後にプレゼントをもらったんです。数字は残していないけど、NPBの中で名前を残すことができた。本当にすごく感謝しています」

 順風なプロ生活が一転、16年の春季キャンプ中に左膝の内側側副じん帯を断裂。全治1年の大ケガから2年間、1軍出場機会なく戦力外通告。トライアウト後、すぐに携帯電話が鳴った。阪神の嶌村聡球団副本部長からだった。「ウチで野球人生を終わってください」。熱い言葉は、喜びと同時に驚きでもあった。

 「あの言葉があったから、家族を連れてくることもできた。関西という場に縁をもらった。逆の立場で、まだ同じユニホームを着てない選手に、そんなことが言えるか。本当に感謝しています」

 恩返しの2年間。何かを還元するためにプロとして、グラウンド内外で姿勢を大切にした。ひたむきに、ひたすらに白球を追う姿を、手本として球団に遺(のこ)した。10月2日。来季契約を結ばない旨を伝えられ、潔く引退を決めた。実はシーズン中のトレードも含め、複数球団が獲得調査を進めていた。こだわれば現役続行の道もあっただろう。だが、“約束”を守った。

 なにより阪神愛が決断させた。「横浜で9年、阪神で2年。年数は全然違います。でも、その重さは一緒。拾ってくれた恩を返したいんです」。夢を与える存在がスター選手なら、山崎は希望を届けることができる数少ない一流選手だった。来季からはスコアラーに転身する。いつの日にかまた、タテジマのユニホームを着る姿が見たい。野球の神様に愛された男の第2章が始まる。

 ◆山崎 憲晴(やまざき・のりはる)1986年12月13日生まれ、33歳。静岡県出身。現役時代は右投げ右打ちの内野手。埼玉栄から横浜商大を経て、2008年度ドラフト3位で横浜(現DeNA)に入団。プロ1年目の09年4月3日・中日戦(ナゴヤドーム)で初出場初先発(8番・三塁)。18年阪神移籍。通算成績は446試合、打率・218、6本塁打、58打点。

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